人は望み事がなくても、他人から被害を受けただけで、怨みをもつようになるが、それは「恨」にはならない。「恨」は別に他人から被害をこうむらなっくても湧いてくる心情である。自分自身の願いがあったからこそ、また自分自身の能力があったからこそ、何かの挫折感がはじめて「恨」になるわけだ。それは、かなえられなかった望みであり、実現されなかった夢である。
憾みは熱っぽい。復讐によって消され、晴れる。だが、「恨」は冷たい。望みがかなえられなければ、解くことができない。憾みは憤怒であり、「恨」は悲しみである。だから、憾みは火のように炎炎と燃えるが、「恨」は雪のように積もる。
「恨」を解く。それは怨みを晴らすだけの話ではない。望みをかなえるということであり、新しいその世界での生を実現させることを意味する。
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