あの日あの時、私は集団心理の力学がいかに素早く転変するものであるかを痛感した。同時に、自分の少々果敢な姿が実は滅びの姿にほかならぬことを強く感じとっていた。それから一ヶ月後に逮捕されて独房に入り、またその後に続いたいくつもの長い裁判の過程において、自分のオツムが蒸発乾燥していくのか沈思黙考に入っていくのかはっきりしないという奇妙な感覚にとらわれつつ、「人が左翼であるのは、その新旧のいずれかを問わず、人が右翼であるのと同じように、人が莫迦になるための近道である」という真実を少しずつ学んでいった。また、あの宣伝カーの上での仲間に向かってのネガティブ・キャンペーンは、何ほどかは自分にたいしても発したものであったことを認めねばならぬ、と納得しもしはじめたのである。
文藝春秋、2010年12月1日号、安保と青春・1960
ReplyDelete西部邁、「莫迦は死んでも治らない」私の始発点