Saturday, February 19, 2011

五木寛之

 日本がいちばんに目指すべきは経済の復活ではなく、思想や学問や文化を成熟させることでしょう。日本人は明治期に西欧をお手本とした近代化を始めて以来、二つのコンプレックスを持ち続けてきました。ひとつは明治の神仏分離令以来続く神仏習合、もうひとつは自然崇拝です。
 自然を崇拝する神道があり、仏教にも「山川草木悉有仏性」という思想があります。山にも川にも草にも木にも仏性がある、心がある、命があるという考え方。日本ではこの神と仏が同居してきた歴史と、自然を尊ぶ思想があるわけです。西欧的な価値観からは蔑視されてきたテーマですが、しかしこれこそをしっかりと思想化し、磨き上げる必要があると私は思っています。
 いまは原理主義的な一神教の対立が、世界中に大きな緊張感をもたらしている時代です。だからこそ日本人の精神に深く根付いている多神教的な世界、八百万の神々という考え方は重要です。クリスマスを祝い、正月に神社へ行き、葬式は寺で行う。私たちが自然に続けているこうした共存の思想は、実は大きな遺産だといえるでしょう。これらを何となく日々の中で行うのではなく、はっきりと思想化し、世界に紹介すること―。私はこれからの日本に対して、敢えて「ギリシャになれ」と言いたい。
 ギリシャは経済という価値観から見れば、デフォルトした国だとされています。しかし、それでもギリシャ文明が今もヨーロッパ文明の基礎であり、その中からさまざまな文芸作品や思想・哲学が生まれたことは揺るぎません。日本も同じように、世界にとっての文化や思想の発信地となっていく方向性を持つべきだと私は考えています。
 産業や資源がなく、経済的には苦しくとも、世界をリードする思想の多くが日本から生まれていく。そのような日本に多くの人々が憧れ、世界中から学びに来る―。それは裏返しの希望です。しかし内面的な成熟が求められる下山の時代にこそ、ふさわしい国のあり方なのではないかと思うのです。

1 comment:

  1. 言わずに死ねるか/五木寛之「下山の時代」
    週刊ポスト [2011年1月7日号]

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