「自己顕示欲が旺盛で、感情的な性格とともに強い猜疑(さいぎ)心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗(しつよう)さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり…」 昭和57年6月、東京地裁が連合赤軍リーダー、永田洋子(ひろこ)に死刑を言い渡した際、裁判長が指摘した永田の「性格」である。「女性特有」以下のくだりは、いかにも差別的であり、一般女性からも顰蹙(ひんしゅく)を買った。 その永田が5日、長年わずらっていた脳腫瘍のため死亡、65歳だった。 昭和46年から翌47年に起きた群馬県・榛名山などの山岳アジトでの大量リンチ殺人事件、長野県・あさま山荘での警察官との銃撃戦は「連合赤軍事件」と呼ばれる。だが事件の本質とはなにか、と問われたら、現在も未分明の部分が多い。 いちばん手っ取り早いのが、地裁判決のように永田と、「小心者」とされた最高責任者、森恒夫(勾留中に自殺)の「資質」の問題に帰してしまうことだ。 これに山岳ベースという密閉状況を加味すれば、追いつめられた集団の「異常心理」が事件をもたらしたと結論づけることは、いちおうはできる。 だが当時、現場で取材した筆者としては、それで済まされる事件だとは、とても思えなかった。 永田との往復書簡集を発刊した作家、瀬戸内寂聴は事件については生理的な嫌悪を覚えたとしながらも、「私は、洋子さんが、ごく普通の女の子で、頭のいい、素直な、正義感の強い、自分をごまかせない、馬鹿正直な人だと知るようになった」と書いた。 地裁判決とは、ほとんど正反対の永田評である。この乖離(かいり)はどこから来るのか。 当時の学生運動をテーマにした大著『1968』を刊行した社会学者、小熊英二も、森や永田に人間的な欠陥があったわけではない、と指摘する。そのうえで「あのような状況と立場に置かれれば、その人間のもっている特徴が醜悪な形態で露呈してしまう」と結論づけた。 これでは何も言ったことにならない。「醜悪な形態で露呈」するのはなぜかについての分析をしていないからだ。 この事件をもっとも鋭く分析したのは、アメリカの女性社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー』である。 同書によると、森や永田は共産主義社会を建設するためには、「革命戦士の共産主義化」が至上命令であると叱咤(しった)した。戦士はブルジョア趣味を排除し、それを克服できないものは徹底的に自己批判をしなければならない。 スタインホフによると、これはアメリカでグループ心理療法として行われている「意識高揚法(コンシャスネス・レイジング)」と同じだと指摘する。目的は、より強い自己の形成を集団で助けることだ。その過程で「集団による批判、追及を行って、むだな防衛心を強く自覚させ、それをとり除かせようとする」のだという。 もちろん危険が伴うので、「行きすぎ」を防ぐためには熟練した指導者が求められる。この意味では、森も永田も指導者としては失格である。かれらは「共産主義化」という「死へのイデオロギー」にとりつかれていたからである。 イデオロギーは、一般的には「観念の体系」と訳される政治用語である。大のイデオロギー嫌いだった作家の司馬遼太郎は、このコトバを「正義の体系」と訳した。 イデオロギーが恐ろしい側面を持つのは、この「正義」のためなら、何をしてもよいという方向に転倒していくからである。 山岳アジト内で起きていたのは、この転倒にほかならない。永田は同志殺しを「誤り」だと認めたが、自らの闘争が誤りだとは最後まで認めた気配はない。 瀬戸内への手紙で、永田は「正直にいって、私は十四名を殺した夢をみません」と書いた。「正義の体系」はそれほど執拗で、底意地が悪く、冷酷なのである。
MSN Sankei News (2011.2.8)The Sankei Shimbun & Sankei Digital
「自己顕示欲が旺盛で、感情的な性格とともに強い猜疑(さいぎ)心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗(しつよう)さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり…」
ReplyDelete昭和57年6月、東京地裁が連合赤軍リーダー、永田洋子(ひろこ)に死刑を言い渡した際、裁判長が指摘した永田の「性格」である。「女性特有」以下のくだりは、いかにも差別的であり、一般女性からも顰蹙(ひんしゅく)を買った。
その永田が5日、長年わずらっていた脳腫瘍のため死亡、65歳だった。
昭和46年から翌47年に起きた群馬県・榛名山などの山岳アジトでの大量リンチ殺人事件、長野県・あさま山荘での警察官との銃撃戦は「連合赤軍事件」と呼ばれる。だが事件の本質とはなにか、と問われたら、現在も未分明の部分が多い。
いちばん手っ取り早いのが、地裁判決のように永田と、「小心者」とされた最高責任者、森恒夫(勾留中に自殺)の「資質」の問題に帰してしまうことだ。
これに山岳ベースという密閉状況を加味すれば、追いつめられた集団の「異常心理」が事件をもたらしたと結論づけることは、いちおうはできる。
だが当時、現場で取材した筆者としては、それで済まされる事件だとは、とても思えなかった。
永田との往復書簡集を発刊した作家、瀬戸内寂聴は事件については生理的な嫌悪を覚えたとしながらも、「私は、洋子さんが、ごく普通の女の子で、頭のいい、素直な、正義感の強い、自分をごまかせない、馬鹿正直な人だと知るようになった」と書いた。
地裁判決とは、ほとんど正反対の永田評である。この乖離(かいり)はどこから来るのか。
当時の学生運動をテーマにした大著『1968』を刊行した社会学者、小熊英二も、森や永田に人間的な欠陥があったわけではない、と指摘する。そのうえで「あのような状況と立場に置かれれば、その人間のもっている特徴が醜悪な形態で露呈してしまう」と結論づけた。
これでは何も言ったことにならない。「醜悪な形態で露呈」するのはなぜかについての分析をしていないからだ。
この事件をもっとも鋭く分析したのは、アメリカの女性社会学者、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー』である。
同書によると、森や永田は共産主義社会を建設するためには、「革命戦士の共産主義化」が至上命令であると叱咤(しった)した。戦士はブルジョア趣味を排除し、それを克服できないものは徹底的に自己批判をしなければならない。
スタインホフによると、これはアメリカでグループ心理療法として行われている「意識高揚法(コンシャスネス・レイジング)」と同じだと指摘する。目的は、より強い自己の形成を集団で助けることだ。その過程で「集団による批判、追及を行って、むだな防衛心を強く自覚させ、それをとり除かせようとする」のだという。
もちろん危険が伴うので、「行きすぎ」を防ぐためには熟練した指導者が求められる。この意味では、森も永田も指導者としては失格である。かれらは「共産主義化」という「死へのイデオロギー」にとりつかれていたからである。
イデオロギーは、一般的には「観念の体系」と訳される政治用語である。大のイデオロギー嫌いだった作家の司馬遼太郎は、このコトバを「正義の体系」と訳した。
イデオロギーが恐ろしい側面を持つのは、この「正義」のためなら、何をしてもよいという方向に転倒していくからである。
山岳アジト内で起きていたのは、この転倒にほかならない。永田は同志殺しを「誤り」だと認めたが、自らの闘争が誤りだとは最後まで認めた気配はない。
瀬戸内への手紙で、永田は「正直にいって、私は十四名を殺した夢をみません」と書いた。「正義の体系」はそれほど執拗で、底意地が悪く、冷酷なのである。
MSN Sankei News (2011.2.8)
ReplyDeleteThe Sankei Shimbun & Sankei Digital