Sunday, January 22, 2012

浅田次郎

 たとえば、芥川龍之介という雛形がある。おそらく類い稀な頭脳の持ち主で、それに恥じぬ努力を惜しまなかった彼は、虚構を生み出す才能をまるで持たなかった。あれ程の名文章家であり、ディレッタントでありながら、古典説話を脚色するか暗欝に内向するほかに、ほとんど嘘をつくすべを知らなかった。
 この作家的宿命を後年さらにスケールアップしたのは三島由紀夫で、やはり名文章家であり偉大なディレッタントでありながら、ストーリー性の豊かな作品は、ほとんどが社会的事件のノベライズであった。
 要するに教室のホラ話に耳を貸さず黙々と勉強している子供が小説家を志すと、たいそう苦労するのである。
 こうしたタイプの作家は枚挙いとまないが、それら先人たちの中にあって谷崎潤一郎の溢るるがごときダイナミックな大嘘つきぶりは、まさに神を見るようである。おそらしく彼は明治の小学校の教室を、いつも賑わせていた子供だったのであろう。
 事実を曲げたり、責任を回避するための嘘はあってはならないが、想像力を表現する手段の嘘を寛容しなければ、世の中は貧しくなる。

2 comments:

  1. 嘘をつく才能

    by 浅田次郎

    文藝春秋2012年2月号

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  2. 嘘をつく才能
     ほんの子供のころ、学級担任の教師から「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」と言われた。
     前後の記憶はまるでないが、「嘘つき」という辛らつな言葉から察するに、先生はよほど腹に据えかねていたのであろう。
     しかし今も昔も何だって悪いふうには考えぬ性格の私は、まさか敬愛する先生に叱責されているとは思わず、真剣に将来を示して下さったのだと考えた。それは実に、私が小説家になろうと決心した瞬間であった。
     自分が嘘つきであるという自覚はなかった。ただし、事実を都合よく解釈し、かつそう思い込むふしはあった。また、ひとつの見聞を他社に伝えるとき、面白おかしく修飾を施して話を膨らませるふしもあった。
     クラブ活動は新聞部で、壁新聞の創作に情熱を傾けていた。小学校の高学年では、他の部員に一行一句も譲ろうとせぬ「主筆」であった。もしかしたら教師のさきの感想は、事実を我流に脚色する私の記事に対しての、警告であったのかもしれぬ。
     そののち、めでたく小説家になってから気付いたのだが、べつだん同業者のみなさんが総じて嘘つきというわけではない。むしろ評伝やノンフィクションを得意とする作家は、根っから正直者で誠実な性格の人物ばかりに思える。一方、純然たるフィクションを書く作家は、嘘つきとまでは言わぬまでも、まあ私と同類の、少なくともジャーナリストとしては不向きの性格であろう。
     物語という「嘘」の世界で生きていくためにはこれが才能であり武器である。しかし厄介なことに才能であるからには天賦のものであって、こればかりは努力では身につきはしない。要するに小学校の教室で面白おかしい話を開陳して人気を博しているような子供は、明らかに小説家としての才能に恵まれているのである。そしてさらに厄介なことに、この才能と学問ことに国語の成績とはまったく関係がない。それどころか多くの場合、論理的で明晰な頭脳を持つか不断の努力を惜しまない優秀な子供らは、この「嘘」の才能に恵まれていないのである。
     たとえば、芥川龍之介という雛形がある。おそらく類い稀な頭脳の持ち主で、それに恥じぬ努力を惜しまなかった彼は、虚構を生み出す才能をまるで持たなかった。あれ程の名文章家であり、ディレッタントでありながら、古典説話を脚色するか暗欝に内向するほかに、ほとんど嘘をつくすべを知らなかった。
     この作家的宿命を後年さらにスケールアップしたのは三島由紀夫で、やはり名文章家であり偉大なディレッタントでありながら、ストーリー性の豊かな作品は、ほとんどが社会的事件のノベライズであった。
     要するに教室のホラ話に耳を貸さず黙々と勉強している子供が小説家を志すと、たいそう苦労するのである。
     こうしたタイプの作家は枚挙いとまないが、それら先人たちの中にあって谷崎潤一郎の溢るるがごときダイナミックな大嘘つきぶりは、まさに神を見るようである。おそらしく彼は明治の小学校の教室を、いつも賑わせていた子供だったのであろう。
     事実を曲げたり、責任を回避するための嘘はあってはならないが、想像力を表現する手段の嘘を寛容しなければ、世の中は貧しくなる。
    「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」
     たしかにそういわれた。しかし改まって考えるに「小説家にでも」は私の脚色で、実のところは「小説家に」であったかもしれぬ。

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