Saturday, October 2, 2010

奥泉光

「美しい日本語」などというものは悪しきイデオロギーであると、僕は断じて憚らぬ者であるから、当然ながら名文云々といった発想とは日頃無縁である。好きな文章なら勿論幾つもあるが、これぞ文章の理想なりと、勢い込んで紹介できるようなものはひとつもない。だいたい好みにしても一定の基準があるわけではない。簡潔にして要領を得た手際に感心することもあれば、燦くが如き暗喩の豪華さに魅了される事もある。一方では枯淡の味わいに惚れ、他方では絢爛たる美文に憧れもする。流れるような調子が好ましくもあれば、翻訳調の生硬さがひどく気分のよい場合もある。

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