Saturday, November 13, 2010

新名丈夫

勝利か滅亡か、戦局は茲まで来た
国家存亡の岐路に立つの事態が、開戦以来2年2ケ月、緒戦の赫々たるわが進攻に対する敵の盛り返しにより、勝利か滅亡かの現実とならんとしつつあるのだ。大東亜戦争は太平洋戦争であり、海洋戦である。われらの最大の敵は太平洋より来寇しつつあるのだ。海洋戦の攻防は海上において決せられることはいうまでもない。しかも太平洋の攻防の決戦は日本の本土沿岸において決せられるものではなくして、数千海里を隔てた基地の争奪をめぐって戦われるのである。本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては最早万事休すである。
竹槍では間に合わぬ 飛行機だ 海洋航空機だ
今こそわれらは戦勢の実相を直視しなけれぱならない。戦争は果たして勝っているか。ガダルカナル以来、過去1年半余、わが忠勇なる陸海将士の血戦死闘にもかかわらず、太平洋の戦線は次第に後退の一路を辿り来った血涙の事実をわれわれは深省しなけれぱならない。
空中戦闘と海上の艦隊決戦において、如何に勝利を獲得するとも、海上補給に際して敵航空機の網に罹っては補給はできないのである。敵航空機の海上補給攻撃に対してこれを防衛するには、わが航空兵力をもって対抗するほかなきは勿論である。
太平洋の攻防ともに航空兵力こそ勝敗の鍵を握るものなのである。敵の戦法に対してわれらの戦法を対抗せしめなければならない。敵が飛行機で攻めに来るのに、竹槍をもっては戦い得ないのだ。問題は戦力の結集である。帝国の存亡を決するものは、わが海洋航空兵力の飛躍増強に対するわが戦力の結集如何にかかって存するのではないか。

2 comments:

  1. 1944年(昭和19年)2月23日付東京日日新聞

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  2. 新名丈夫はこの記事を書いたため、東條英機首相が激怒し、二等兵として陸軍に懲罰召集を受けることになった。新名は大正年間に徴兵検査をうけたが、まだ当時は大正時代に徴兵検査を受けた世代は1人も召集されてはいなかった。新名が黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であった経過から、海軍が「大正の老兵をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍に抗議し、陸軍は大正時代に徴兵検査を受けた者から250人を丸亀連隊(第11師団歩兵第12連隊)に召集して辻褄を合わせた。
    新名自身はかつて陸軍の従軍記者であった経歴と海軍の庇護により連隊内で特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になった。しかし、上述の丸亀連隊の250人は送られた硫黄島で全員が玉砕・戦死することになった。陸軍は新名を再召集しようとしたが海軍が先に国民徴用令により保護下に置き、新名の命を救った。

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