Sunday, November 21, 2010

関野吉晴

ここ33年間、半分以上の期間を海外の、電気も上下水もないところで、土地の人に泊めてもらい、できる限り同じものを食べて暮らしてきました。しかし自分の足元、あるいは日本についてあまりにも無知である事を痛感しました。学生時代に国内の山を登り、川を下りましたが、流域や山麓の人々と交流することありませんでした。
グレートジャーニー終了後は日本を知ろうと足元を見て歩いています。二風谷のアイヌ、山形の鷹匠、新潟のマタギ、東京西部の農林業に従事している人たちと交流しています。その中で最も力を入れているのは私の地元、東京下町での職人達との付き合いです。
私の生まれた下町に全国のブタ革なめしの8割をしている地域があります。そこで体験労働をしています。アンデスやアマゾンでも「泊めてください。食べさせてください。何でもしますから」と頼み込んで居候させてもらいました。仲良くなってから話を聞き、写真を撮ったのです。日本でも同じ流儀ですることにしました。

1 comment:

  1. 成川順さんは「記録映画『プージェー』とその周辺・グレートジャーニー」という文章の中で、「別れ際に、私は彼の分厚い手を固く握った。(これはやはりグレートジャーニーの手だ)と思った」と書いています。関野さんの手、グレートジャーニーの手というのは、どんな手なんでしょうか。

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