Saturday, January 14, 2012

山折哲雄

リーマン・ブラザーズに端を発した現象を見て、エコノミストが、とにかく危機だ、危機だと言い募っています。私には非常に不思議な光景でした。要するに、経済の現象は景気の循環ではないかと思ったからです。良いときも悪いときもある。地震列島、台風列島ですから、この地に住む人間は、自然の脅威には究極的に逆らえない、という認識でしのいできたのです。それは、普遍的な感覚ではないでしょうか。
西洋社会は危機に陥ったときは、いつでも犠牲を覚悟して、生き残る戦略を考えてきました。つまり、切り捨てられる部分が必ず出てくる。それを当然の前提とする歴史観が何千年も続いてきたのでしょう。私はそれを生き残り戦略と言っています。その原点は旧約聖書の最初に出てくるノアの方舟の物語にあります。生き残り戦略は、旧約の物語から始まり、その後に考え出された哲学や経済、政治などの社会システムは、全部、この戦略から生み出されていますから、危機がきたら何かを犠牲にする構えになるのは当然のことでした。
これに対してもう一つ、人類が考え出した戦略が無常戦略でした。つまり、危機的な状況に、少数の生き残る可能性のある人間も大多数の滅びゆく人間とともにその過酷な運命を甘受する。それによって、生き残るための可能性を見いだそうとする。これが仏教の無常で、老荘の無の思想とも通ずるものではないか。

5 comments:

  1. 原子力文化 2009年8月号 インタビュー
    諸行無常の観点から日本経済を見る
    ――日本のライフスタイルには未来可能性が

    山折哲雄 (聞き手:石井恂)

    http://www.jaero.or.jp/data/03syuppan/genshiryokubunka2009/taidan/0908.htm

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  2. リーマン・ブラザーズに端を発した現象を見て、エコノミストが、とにかく危機だ、危機だと言い募っています。
    私には非常に不思議な光景でした。
    要するに、経済の現象は景気の循環ではないかと思ったからです。良いときも悪いときもある。「照る日曇る日」というではないか。日本列島で生活してきた人々は、それを「無常」という感覚でとらえてきたのです。
    これは必ずしも仏教に限りません。地震列島、台風列島ですから、この地に住む人間は、自然の脅威には究極的に逆らえない、という認識でしのいできたのです。それは、普遍的な感覚ではないでしょうか。
    今、日本の多くの経済学者はアメリカ流の経済学の影響を受けています。名だたる経済学者、エコノミストがそういう観点から危機だ、危機だと呼んでいる。
    「愚者は自分の経験から学ぶ 賢者は歴史から学ぶ」と言うではありませんか。ところが、みんな自分の経験からしか語っていません。
    昨年末に『資本主義はなぜ自壊したのか』を上梓した中谷巌さんもそうだったわけで、それで今回懴悔をされたのでしょう。

    もちろん、無常観で世界的不況、経済問題をすべて解決できるなどとは毛頭思っていません。経済や政治それ自体の問題として解決しなければならないことが、山ほどあると思います。
    そういう経済政策なり国家戦略を、つくり上げていく場合の心構えの問題を
    言っているのです。であれば、欧米と日本の経済人のあり方が異なっていいはずだと思います。グローバリゼーションの大波に飲み込まれて、欧米のものの考え方を、いつの間にか自分の血肉にしてしまっていて、その観点からだけ発想しているから、同じような反応しか出てこ
    ない。
    つまり、なぜ「諸行無常」というキーワードを持ち出さないのか、それで景気循環の危機的な状況を分析しようとしないのか。そういう発想がどこからも出てこないところにこそ、日本の危機があるのでは、と思います。

    西洋社会は危機に陥ったときは、いつでも犠牲を覚悟して、生き残る戦略を考えてきました。つまり、切り捨てられる部分が必ず出てくる。それを当然の前提とする歴史観が何千年も続いてきたのでしょう。
    私はそれを「生き残り戦略」と言っています。その原点は旧約聖書の最初に出てくるノアの方舟の物語にあります。大洪水が起こって、ほとんどの人類が死滅しなければならないようなとき、ノアの一族だけが救命ボートをつくって生き延びる。今日の人類が存在するのは、そのおかげだ、というわけです。
    生き残り戦略は、旧約の物語から始まり、その後に考え出された哲学や経済、政治などの社会システムは、全部、この戦略から生み出されていますから、危機がきたら何かを犠牲にする構えになるのは当然のことでした。
    これに対してもう一つ、人類が考え出した戦略が「無常戦略」でした。つまり、危機的な状況に、少数の生き残る可能性のある人間も大多数の滅びゆく人間とともにその過酷な運命を甘受する。それによって、生き残るための可能性を見いだそうとする。
    これが仏教の無常で、老荘の無の思想とも通ずるものではないか、と仮説を立てています。

    今、我々も西洋流の生き残り戦略にどっぷり浸かっていますから、この戦略に基づく理論の影響を受けるのは当然でした。しかし、それと同時に、我々の意識の底、無意識領域には、DNAとしての無常感覚が流れていると思います。
    それがあるからこそ、明治以降、日本を代表する企業は、終身雇用制などの日本的経営でしのいできた。そもそも経済は低迷も沈没もある、運命共同体としてその変動に一緒に耐えていこう、という戦略でやってきた。
    渋沢栄一の「論語=そろばん主義」は、西洋流の資本主義を導入しながら、儒教的な倫理も必要だ、と考えたからでした。
    日本の資本主義は、明治以降それで発展し、この路線を守った企業は成功していると思います。トヨタも松下も創業者の精神は、そこから出発しています。二宮尊徳や石田梅岩、近江商人などの価値観やモラルを企業活動のベースに据えてやってきた。
    このようにみてくると、日本の経済や文化は二重構造の方式でやってきたことがわかります。明治維新までは中国文明の圧倒的な影響を受けて、中国文明と日本列島の価値観と重ね合わせて、二重構造化し、これを和魂漢才と言ってきた。明治以降はヨーロッパ文明がドーッと入ってきた。ヨーロッパ文明と日本列島人の価値観が二重構造化して和魂洋才ということになる。それが昭和20年まで続いたと思います。
    ところが、今日、いつの間にかグローバリゼーションの大波にのみこまれて、単純な一重構造です。我々は伝統的な二重構造化のシステムをつくり直すことができるのか、その問題に直面しているような気がします。

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  3. (日本人の社会の基本的な構造としては、共同体の中の人間という構造があったかと思いますが、それが特にこの10年くらいで崩れて、終身雇用制が急速になくなり、組合も弱くなってしまっている。会社が共同体でなくなってしまった。それらは日本で経済の新自由主義の流れが強くなってきた時期と一緒なのか、アメリカ路線に浸かってしまったからなのかもしれません。
    キリスト教が定着しない日本が、なぜアメリカの戦略に、すっぽり浸かってしまうんですか。)
    アメリカの金融資本主義に飲み込まれてしまったわけですが、そのもともとの根っこは、西洋社会の考え方に問題があると思います。アメリカ流資本主義も、正統的なヨーロッパ型の資本主義と本質は変わっていないと思います。
    西洋の近代資本主義社会が形成されていく、その基本のところに重要な人間観があったと思いますね。彼らの人間観の基礎にあるものの考え方は、「人間は疑わしき存在だ」という人間の見方でしょう。
    例えば、ジョン・ロックやトマス・ホッブズなどのイギリスの功利主義的な経験論からしますと、「人間の社会は競争社会であって、すべての人間は狼だ」という認識です。「だから信じてはいけない。競争のなかで弱き者は負ける。強き者が勝つ。その競争社会に生き抜かなければいけない」。それが前提ですから、「人はそもそも信用するな」ということになります。
    デカルトの「我思う故に我あり」という言葉の「我思う」も、「我疑う」ということだと思います。疑う精神があるからこそ、真理の追究や科学の発展がある。これはそういう人間観に潜むプラスの価値観でしょう。
    マイナスを含めて両面あるのでしょうが、「人間というのはそもそも疑わしい存在だ」、これが出発点だと思います。
    でも、これだけを主張しているとコミュニティーはできません。民族も国家も社会秩序もつくり上げることができない。
    そこで、西洋市民社会は二つの条件を前提につくり上げられていった。一つが一神教です。超越神の存在を仮定し、一人ひとりの人間がその超越神によって垂直の関係でコントロールされる。地上での経済や政治活動、日常生活を送ることができるのは、正に神との契約により許されている。これも旧約聖書以来の考え方です。

    ところが、近代になってその超越神が否定されるのですが、西洋社会は、超越神に代わる価値観を新たにつくり上げた。正義や理性や公平さ、そういう新しい普遍的な理念や価値をつくり出しました。
    ですから、西洋社会から聞こえてくる正義や理性という言葉は、超越神の別名だと思っています。
    国際社会で生きていく上では誰にも認められる唯一の価値として、西洋社会では、理性や正義が持ち出されるのですが、しかし、その正義というのもよく考えてみると幾つもあるわけです。アフリカの正義もあれば、アングロサクソンやアジアの正義もあり、多元的なものです。それにもかかわらず、それが一つの普遍的な価値だと主張してくる。これはアングロサクソンの強さからくると思います。そういう超越的で普遍主義的な価値観をつくり上げて、それとの関係で個人はコントロールされるのだという。
    ですから人間は暴走できない。人間は疑わしき存在であり、競争社会の中で生きていると言いながら、理性や正義を持ち出すことで手足をしばる。それが第一の条件です。
    もう一つの条件が契約の精神です。旧約聖書の世界では神と人間たちとの契約が定められており、それが近代になって人間と人間の関係に置き換えられる。それで世俗的な契約社会がつくられた。
    この二つの条件があるから、「人間はそもそも疑わしき存在だ」という人間観が成立可能だったと思います。

    日本の社会には、その二つの条件が欠けていました。
    まず一神教的伝統がない。だから我々は本音のところで西洋から聞こえてくる普遍的主義の声に耳を傾けながら、実は納得できないでいたはずです。日本は多神教的な世界で、アニミズム的な世界と言ってもいいかもしれない。それから、もう一つの契約の精神もなかった。
    そういう二つの条件を欠く社会で、「人間は疑わしき存在だ」という人間観を受け入れたら、そもそも社会もコミュニティーも成り立たない、それで「人間は信頼すべき存在だ」というもう一つの人間観をつくるほかありませんでした。
    ところが「信頼すべき社会である」というだけでは、人間関係を秩序ある形にする唯一の保証にはなりません。なぜなら人間は常に裏切る存在でもあるからです。
    そこで集団の力が必要になったのです。一対一の関係だけでは、本質的にどこか裏切る、信頼できない関係になることを知っていたのです。日本の社会において、集団主義がある意味において運命的に不可欠だったゆえんです。
    ただ、その集団主義は個人を抑圧する力としても働きますから、そのマイナスの力をどう抑制していくか、大きな問題だったと思います。
    明治以降、ヨーロッパの近代的な価値観が個人主義を受け入れながら、同時に我々の伝統的な集団主義をどう調和させていくか、これが日本の政治家や経済人にとって重要な問題だったと思います。
    そこで先に言った二重構造化が始まった。資本主義的な原理に基づく企業活動において、経営者と労働者の関係を一種の家族、あるいは有機的なコミュニティーと考え、疑似家族的秩序をつくろうとしてきた。終身雇用制も、そこから出てくる。
    そういうことがあったために、日本の資本主義、企業活動は何とか西洋社会に伍して発展することができたと思いますが、ここにきてその伝統的な二重構造の行き方を自ら捨て去るようなことをやるようになった。もっと、そうせざるを得なくなるような大きな力が働いたためかもしれません。

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  4. (それはやはりグローバリズムなんでしょうか。)
    ええ。ただ、そのときそれに抵抗する価値観を我々が持つことができるのか、できないのか、それが問題ですね。

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  5. ノアの方舟と三車火宅のたとえ
    水野節子
    http://ima-coco.blog.so-net.ne.jp/2011-06-06

    昨夜、NHKのETV特集で「暗黒のかなたの光明 〜文明学者・梅棹忠夫がみた未来」という番組を観た。今、国立民族学博物館で開催中の「ウメサオタダオ展」が話題になっていることから、どういう人なのかをぜひ知りたいと思っていた。

    公害が問題になった1960年あたりから、彼は知的探究や知的生産活動に熱中し、科学を追求する人々のあり方に懸念を表明していた。そのなかのひとつに放射能問題もある。晩年、「人類の未来」という本の執筆にとりかかり、その構想メモのなかに暗黒に突き進む人類の行く末を推測しながらも、彼は最後に「光明」と書き記していた。
    昨日のETV特集は、その光明とは何を意味しているのかを探る構成になっていた。

    作家の荒俣宏さんがレポーターとして、彼にゆかりのある人々を訪ね、話をきく。その中で特に印象に残っているのは、宗教学者の山折哲雄さんの話だ。科学一辺倒になる社会の傾向に警鐘を鳴らした梅棹忠夫さんの思想を、彼はキリスト教の「ノアの方舟」と仏教の「三車火宅のたとえ」を対比して、解き明かそうとしていた。

    旧約聖書の創世記に出てくる「ノアの方舟」は、神が地上の人間たちが悪を行う様子をみて、彼らを洪水で滅ぼすことをノアに伝えることから始まる。ノアは人々に伝えるが、人々は耳を貸さない。結局、ノアは3階建ての箱船をつくり、40日間続いた洪水を生き延びたのは、ノアとノアの船に乗った家族や動物たちだけだったという話である。

    一方、「三車火宅のたとえ」は、今にも崩れそうな屋敷に住む長者が、たくさんの子どもを残して出かけたところ、屋敷で火事が起こる。長者は急いで帰って子どもたちにすぐに逃げるように叫ぶが、遊びに夢中になっている子どもは逃げようとしない。「ノアの方舟」で洪水の予言に耳を貸さない人々と同じである。ところが、長者は子どもたちが羊の車、鹿の車、牛の車を欲しがっていたことを思い出し、外に車を用意して子どもたちに「外に出ると羊の車、鹿の車、牛の車があるよ。早くおいで」と叫ぶ。すると、子どもたちは一目散にやって来た。それどころか、長者は羊の車、鹿の車、牛の車ではなく、金銀銅で飾られた大白牛車を用意していたので、子どもたちは喜んで車に乗り込み、みんなで安全なところに避難したという話だ。

    山折哲雄さんは「ノアの方舟」は選民思想を象徴するものであり、その背景には西洋の論理的な考え方や科学的な見方があるという。それに対して「三車火宅のたとえ」は、論理を超えた情感を包括した東洋思想の表れであり、おそらく梅棹忠夫さんはそうした思想に「みんなが生き残る」ヒント = 光明を見出したのではないかと語っていた。

    この話は私にいろいろな記憶を連想させた。若い頃の学生時代、R.メリット先生の「ホリスティック・ヘルス」という合宿型の授業に参加して、清里の清泉寮で知的な理解や合理的な判断だけに頼ることなく、感情や気持ち、身体的な反応に着目し、物事全体を捉えることが大切だと学び、ポイントは「バランス」だと思ったこと。ゲシュタルトの考え方。科学を相対化する社会構成主義。……確かに科学の限界は、物理学の最先端でもいわれていることで、微視的な粒子の動きは人間の感情のように不確定で、測定できなかったりするそうだ。科学というモードは人類に多くのものをもたらしているけれど、梅棹忠夫さんの言う通り、それだけではカバーしきれないもの、抜け落ちるものが大いにある。おそらく、それらは科学や数値では解明できない全体性と影響関係の中にあるのだろう。

    そう考えると、山折哲雄さんの指摘は大いに今後のモノの見方、考え方、取り組み方のヒントになる。

    今の人間にとって科学はなくてはならないものだ。その人智を受け継ぎ、進化させていく取り組みも必要だが、人間の心理状態や関係性のように、すべてのものが影響関係の中に存在していることを踏まえた見方、考え方を取り戻すことが、今はすべての分野において求められているのではないかと思った。

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