Wednesday, February 1, 2012

来栖三郎

   民主主義の下においては、個人の尊厳は絶対であり、人権の平等は不動の鉄則である。新憲法やその下に行われる幾多の立法は、もちろん民主主義の礎石であるには相違ないが、たとえ新憲法がなくなっても諸般の立法がなくなっても、人格の尊厳がなくなってしまうわけがない。すなわち真の民主主義の基盤には憲法法律を超越した、それ自身普遍普段に厳存する基本人権の観念が存在しなければならない。
   しかし人権の平等ということは、人間がいずれも一つ一つの煉瓦のように、機械的に画一せられた存在であるということでもなければ、またそうさせねばならぬということでもないはずである。
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   われわれは西洋の歴史を読んで、宗教と政治との分離がつとに行われたのを知っており、またこれがために幾多の闘争が行われたのを知っている。
   しかしその反面において、われわれは西洋の民主主義とキリスト教の人道主義とが、切っても切れぬ連繋をもっていることをとうてい否定することは出来ないのである。
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   敗戦以来多数の日本人がキリスト教信者になりつつあることを聞いている。この傾向が将来どこまで発展して行くかということは、われわれの精神生活の進化の上から観てもすこぶる注目すべき問題である。しかしそれと同時にこの問題は、われわれが築きあげんとする民主主義が、その基盤をどこに置くかという問題とも至大な関連を持っているのである。
   民主主義は結局人道主義の上に立たなければならない。西洋諸国においては、民主主義はキリスト教という既存の地盤の上に繁栄して行ったのであるが、宗教を異にし伝統を異にするわれわれは、将来この人道主義の基盤をどこに求めて行くべきであろうか。われわれの精神生活の根源をなす儒教仏教に、新しい人道主義の息吹を求めることが、果して出来るであろうか。高踏的な「礼節仁義」、階級的な香のする「慈悲」に、積極性、能動性、平等性を与えることが畢竟可能であろうか。これらはわれわれ東洋人に残された、今後の大きな宿題であるといわなけらばならない。

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