Sunday, September 13, 2009

西田幾多郎

形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛たる発展には、尚ぶべきもの、学ぶべきものの許多なるは云ふまでもないが、幾千年来我らの祖先をはぐくみ来った東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くと云ったようなものが潜んでいるのではななかろうか。我々の心はかくの如きものを求めてやまない、私はかかる要求に、哲学的な根拠を与えてみたいのである。

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