Saturday, November 13, 2010

江藤淳

プロパガンダは戦時情報局、検閲は検閲局という米国内の組織図が、そのままGHCの民間情報教育局(CI&E)と民間検閲支隊(CCD)との関係に、ほぼ投影されているということである。 ...... ここで注目すべきは、当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの邪悪さとは考えていなかったという事実である。...... 数知れぬ戦争犠牲者は、日本の邪悪さの故に生れたのではなく、敵、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。憎しみを感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。... (占領軍が東京入したとき、日本人の間に戦争贖罪意識は全くといっていいほど存在しなかった。 ...... 日本の敗北は単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念が行きわたっていた。) ... こうした日本人の国民感情はその後もしばらく続き、CCD の情報によれば、昭和23年になっても、依然として日本人の心に、占領者の望むようなかたちで「ウォー・ギルト」が定着してなかった。

No comments:

Post a Comment