Tuesday, December 7, 2010

渡部亮

内外を問わずビジネスの世界で,最も基礎的な基本要因(fundamental fundamentals)となっているのは,貨幣,法,言語である。これらの三要素はいずれもパワー(権力)の源泉であり,いわばビジネスの三種の神器と言える。国際ビジネスでは,擬似貨幣としての株式(エクイテイ),契約のベースとなる英米法(コモンロー),国際言語としての英語が三種の神器となっている。

2 comments:

  1. 「国際ビジネス論序説」 渡部亮

    デフレ,高齢化,不良債権問題,財政赤字の肥大化といった困難な状況に直面し,これから日本経済はいったいどうなるのであろうか?理屈から言えば,経済的困難に直面した国民には,次の三つの選択肢が存在する。
    第一は,一人あたりGDPが低下する形で皆が一様に貧しくなるというものである。その場合,日本企業の株価は低迷を続け,家計貯蓄は利子を生まない銀行預金のままになる。海外旅行者数も徐々に減少し,庶民生活はそれなりの自然なレベルに落ち着くであろう。
    第二は,国(政府)が財政出動によって何とかしてくれるという考え方である。しかしこの場合,財政赤字が増え国債発行残高が膨張して,将来にツケを残すことになる。これでは問題を先送りするだけではなく,将来世代の収入や貯蓄を先食いすることになってしまう。
    第三の選択肢は,外国に助けて貰う方法である。日本は今のところ外国から借金する必要はないが,老齢年金を支えるために若い外国人労働者が必要になるかもしれない。同時に,日本よりも経済成長率の高い外国に投資して,国内での所得減少を食い止めることも考えられる。
    実はこれ以外に第四の選択肢もある。それは,皆が一様に貧しくなるのではなく,一部の人々が豊かになり残りの大半は貧しくなる,つまり格差の拡大である。日本企業のなかにも,世界的に活動する多国籍企業や新しいビジネスモデルを打ち立てる新興成長企業がある。
    株主資本主義は,第三と第四の選択肢の手引きであり,過去百年間の英米の選択でもあった。しかし,それが究極の姿とも言えなくなっているのが英米経済の現状でもある。

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  2. 「アングロサクソン・モデルの本質―株主資本主義のカルチャー 貨幣としての株式、法律、言語」 渡部亮

    米国のダン・クエール元副大統領が日本経済新聞のインタビューに応じ、「日米共同市場」を2015年までに創設したいと明らかにしたのは、2001年3月だった。これは、彼らが日本の構造改革に対する全面的な介入を企図している証左である。
    それでなくとも国内の指導者層は米国社会を理想とし、それへの同化を図る若者たちも、プロのスポーツ選手をはじめとして急増している。「アングロサクソン・モデルを容認すべきかどうか」ではなく、「受容できるのか」が問題になっているという著者の指摘は、もはや検討の余地もない段階になってきたらしい。
    実務経験も豊富な研究者が意欲的な大冊に取り組んだゆえんである。好むと好まざるとにかかわらず、英米で発達し現代の世界を席巻している価値のありようを、日本のビジネスマンはこの際、その生成期にまで遡り、じっくり学ぶ必要があるのではないか。
    本書のアプローチは多岐にわたる。株主資本主義としてのアングロサクソン・モデルを貨幣、法律、言語の3要素から分析し、カルチャーの観点からの一般化が試みられた。
    現代社会における様々な論点が次々に浮き彫りにされていく。アダム・スミスの議論は、何よりも強力な倫理意識を前提としていたという。政治家・官僚など責任の重い立場にいる人に対して、より高い倫理観と義務を求めるという、いわゆるノーブレス・オブリージュへと通じていく思想は、例えば米エンロン事件で地に堕ちたコーポレートガバナンス(企業統治)の問題を考えるうえで欠かせない。
    「法の支配」と「法による支配」の違いとは。公正を重視するモデルの美点はどんどん受け入れるべきであるが、その一方でつきまとって離れない強者の論理、社会、ダーウィニズムをいかに打破するのか。思えばマルクスもダーウィンも、シカゴ学派の近代経済学もまた、物質的価値観が精神的価値観を決定するとの発想から始まっていた。
    究極のビジネスモデルとしてのアメリカ投資銀行。ダニエル・ベルが指摘したアングロサクソン・モデルとは本質的な矛盾を抱えた資本主義形態だという見方は妥当なのかどうか。ホットでタイムリーなテーマを読み進めていくと、読者は当然、深い思想哲学の領域に分け入ることになる。思わず引き込まれる知的興奮を楽しみながら、しかし非アングロサクソンとしては、時に恐怖を覚えさせられる瞬間が幾度かあった。日本のリーダーたちが、この程度の内容を理解したうえで構造改革を説いていると信じたい。
    (日本企業はアメリカン・マネジメントに染まろうとしている。はたしてこれが正解なのか、落とし穴はないのか。)

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