Friday, June 15, 2012

渡邉祥子

女性差別は、キリスト教の教えの根本である聖書の発生と同時に誕生したことがいえる。旧約聖書の創造物語での人間の誕生と同時に、神における男女差の考えが生まれた。また、キリスト教、創設者のイエスに関わることでも、女性は非難され、女性差別の先駆者であるパウロの新約聖書の書簡によって、後の女性の教会権力は影響された。アダムを造り上げた神は、男とされる。イエスも男であり、パウロも男である。ではもし、神が女であれば、初めに造られるべきなのは女である。イエスが女であったならば、12使徒がいくら男たちばかりであっても、その上に女のイエスがいるのだから男性優位にはならない。もしもパウロが女であったなら、自分が女なので女性差別はしないのであろう。たまたま、神が男であり、男が最初に造られ、次に女が造られたのだ。そしてたまたまイエスは男であり、12使徒は男で成された。パウロも偶然に男に生まれ、男であるがゆえに男性優位を主張し、すべて偶然だったとは考えられないだろうか。偶然それら皆が、女であれば、違っていたのだろうか。だが、性において一番重要なのは、男性、女性の誕生であろう。後に誕生した女性は、人類の性の誕生であり、初めて男性は区別され、そうして女性も区別された。性差の始まり、また神による女性差別の始まりも、女性の誕生にあった。だが、間違ってはならないのは、創世記での神の女性差別、イエスの女性に関すること、パウロの女性についての教えだけが、今日までの女性排除、差別を生んだのではない。ただ、原因、根源としてそれらがあげられるのだ。今日までの女性に対する差別は、それらの女性劣性な考えを当然とし、視野には女性差別が映っていても、見て見ぬ振りをしてきた、われわれ人間が作りあげてきたのだ。それだけは間違ってはならないし、忘れてはならないことだと思う。

6 comments:

  1. 女性差別の根源

    ~キリスト教における女性劣性の考えの要因とは~

    by 渡邉祥子

    http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/watanabe(06-1-27)

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  2. 私は、女だが生活において身近なものでの‘女性のひいき’を感じていた。例えば、女性専用車両や、飲食店での女性割引など。‘女性だけ…’‘女性なら…’という看板、広告の文字をよく見かける。反対に、‘男性なら…’‘男性だけ…’という文字は見かけない。これは、男性差別に値するのではないかと考えてしまう。だが、これらは決して‘女性ひいき’ではないということを理解しなければならないと気づいた。‘女性が社会に受け入れられている’ことのあらわれだと思う。これまでの社会は、女性が電車に乗って、痴漢にあってもそれほどの対応、対策はできていなかった。飲食店で、食べ放題があっても、男性に比べると女性は食事の量はほとんど少なく、男性のほうが得をしていたはずだ。社会が男性中心に動いていた。政治は昔ではほとんどが男性で行われていたが、今でもまだまだ男性議員は多く占めている(だが、昔と比べれば、女性議員の数は増えた)。社会が女性のことを考え、受け入れるようになった。働く女性が増えた。これも社会の女性の受け入れの表れだろう。私は、就職活動を通して女性の採用率UPと言っている企業はあったが、実際女性の採用人数は増えてはいるが、割合的に男性のほうが断然多かった。面接でも、転勤のことや、結婚後のことについても聞かれた。企業や、社会は、女性を‘内や、家庭内に閉じ込めている’考えを持っているから女性の社会進出にとまどいを持っているように感じた。‘女性は家庭の中にいる者’という固定観念が消えていない。戦後、日本では女性は家庭内にとどまり、家事、育児を全般に従事していた。その固定観念が今や、多少は薄れてきたが、まだ残っていることが感じられた。この‘女性を家庭の中に閉じ込める’固定観念を持つのは、日本だけではない。

    私は、大学に入り、ヨーロッパの事情や、歴史を学び、その女性を家庭の中に閉じ込めた考えを持っていたのは、ヨーロッパでも同じことがわかった。フランスでは、16世紀から18世紀の女性労働者は就職口を狭められ、働くことが困難だった。また、1789年7月14日フランス革命が勃発、10月のベルサイユ行進など、パリのセクションや民衆運動組織への女性の参加は非常に活発であった。そして8月26日「人および市民の権利の宣言」(人権宣言)が発せられた。その第一条で「人は自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と定め、すべての人間の自由、平等を宣言した。だが、実際には、女性に対して男性と等しい権利を保障したわけではない。女性はここで度外視されていただけではなく、政治的権利を行使する市民を「能動的市民」に限定する国民議会の構成の中で、女性は、公務に参加する能力・資格のない子供、外国人の「受動的市民」らとともに除外されたのだった。そして、第一次世界大戦時には女性労働者は増えたが、第二次世界大戦後、女性は再び家庭の中に送り返された。

    では、ヨーロッパでなにが女性を家庭の中に閉じ込めるにいたったか。何が女性を社会から排除しようとしたのか。と興味を持った。女性を家庭に閉じ込めたのは、人である。その人の精神に深く結びつくのは、宗教であろう。人間は一生の間におきる苦悩や悲しみなどを取り去り、救ってくれる対象としての宗教に、よりどころを求めているのだろう。その宗教のなかでも、世界最大のマンモス宗教で、世界に18億人以上で、全人口の3人に1人の割合で教徒がいるのが、キリスト教である。その聖典である、聖書は1884種類の言語に翻訳され、世界中で大ベストセラーとなっている。その聖書は、キリスト教徒なら必ず読むもので、旅行で海外のホテルはもちろん、国内のホテルの部屋で聖書が用意されていることに驚く。聖書の偉大さを感じる。

    聖書は少なくとも過去2千年間のユダヤ、キリスト教世界のものの見方や、考え方に影響を与え、方向づけてきた重要なものである。聖書における、また、キリスト教における女性と男性のあり方を中心に、現在にまで残る女性差別、男性優位の根源を探っていきたい。

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  3. 第一章 創世記 ~アダムとエバの創造~
    Ⅰ 人の創造
     神は言われた「我々にかたどり、我々に似せて、人(アダム)を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人(アダム)を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
    神は、まず光と闇の創造、天と地の創造、水の中に生きる生物の創造から、爬虫類、哺乳類の創造、そして最後に人間の創造へといたった。神によって創造された世界を支配するために人間を造った。人間の男、そして女を造ったのだ。けれども神は彼らを同じようには造らなかった。彼らの創造に差をつけた。

    Ⅱ 男(アダム)の創造
     主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。
    人として最初にアダムが造られた。塵と神の息によって人(アダム)が造られた。アダムは神に似せて造られた。ここでは、まだアダムが男とは書かれていない。この時点では、性が誕生していないので男女の差が表れていない。

    Ⅲ 女(エバ)の創造
     主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」…そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つをとって、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨で一人の女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき人は言った。「これこそ、ついに私の骨の骨、私の肉の肉。男からとったものだから、これを女と名づけよう。」
    ここに初めて男女の間に差が生じる。‘時間的違い’と‘造り方の違い’また‘造られた目的の違い’である。男は、女より先に、神に似せて、神の命の息で造られた。そして地上のものを支配させるために造られた。まさに‘神の子’として造り上げられたのだ。それに比べて、女は男が造られてから、男のごく一部から出来上がったのだ。しかも女の造られた目的は、男の助け手として造られたのである。助け手として造られたのに、アダムは女をまるで自分の所有物のような言い方をしている。“私の骨の骨、私の肉の肉”と…。また、女の誕生の前に男は、生き物すべてに名前をつけていた。同じように、女の誕生に伴って男は女にも名前をつけた。女は、他の生き物と同じ様に名前をつけられたのであった。

    神は男と女を分け、同等には造らなかった。神が神の世界を創り上げるうえで、初めて、神自身が女を差別したのである。女が造られて初めて、男と女の間に差が発生した。この創造物語での男(アダム)と女(エバ)の在り方や捉え方が、後のキリスト教信者、また今日の男女についての男の優等性、女の劣等性という考え方の根本となってきたのだ。女は男のあばら骨から取って造られたが、男には何の影響もなかった。これは、今日でも「アダムの助骨」という呼称で、冗談で女性を軽蔑するためによく使われているようだ。

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  4. 第二章 創世記 ~罪と罰~
    Ⅰ 堕罪
    神が造った野の生き物の中で、もっとも賢いのは蛇であった。蛇が女に言った。園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのですか。女は蛇に答えた。わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。園には名も知れぬ花が一面に咲き乱れ、泉のほとりは小鳥のさえずりでわきたっている。女はおそるおそる近寄ってその木を見た。目に美しく食べるのに良い実のように見えた。女の耳元で、蛇がささやく。決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる…。そこから先は、蛇の思惑どおりである。女はまず自分の実をとって食べ、それからアダムに差し出した。アダムが口にした瞬間、ふたりは目を開け、裸の二人を羞恥の炎がつらぬいた。ふたりは、イチジクの葉をつづり合わせて腰を覆い、茂みの中に身を隠す。
    賢い蛇は、女を狙った。女はまんまと誘惑に乗り、蛇の思惑どおりとなった。この女を狙い、誘惑したことから今日まで‘女は誘惑に弱い’と言われる原因となった。だが、ここで注意しておかなければならないことがある。神から、実を食べてはいけないと女は直接聞いていないのである。神は男にそう忠告したのであって、女は男から間接的に忠告を受けていた。女は男から聞いたことと、目の前で蛇から聞かされたことの間で、どちらが本当であるのかを判断する立場に追い込まれた。女が、戒めを伝聞によってのみ知りうる立場にあったから、蛇は女につけこんだのだし、女はその誘惑に騙されやすい状態にあったのだ。

    Ⅱ アダムのいいわけ
    どうして食べるなと命じておいた木からとって食べたのか。アダムが答えた。あなたが、私とともにいるようにしてくださった女が、木からとって与えたので、食べました。
    アダムは自分で責任を取ることを拒否している。「私の骨の骨。私の肉の肉」とまで呼んだ相手、一体となったはずの女に、自分の責任を転嫁している。木から取ったのは自分ではないと主張している。また、女に責任を転嫁するだけでなく、「あなたが私とともにいるようにしてくださった女が…」と言うように、神にも責任を転嫁している。確かに女が木からとって男に与えたが、男がそれを拒否したり、躊躇したりする動作は見られない。男が、神から直に戒めの言葉を受けたのもかかわらず、また神の言葉を一番理解していたのに、自分には何も責任がないかのような態度をとったのである。

    Ⅲ 罰
    …女に向かって言った。私はお前の産みの苦しみを大いに増す。お前は苦しんで子を産む。それでもお前は男を求め、男はお前を支配する。それから神は最後にアダムに言った。お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、大地は呪われるものとなった。お前は生涯、苦しんで地から食物を取る。大地はお前に対して、いばらとあざみを生えさせ、お前は、顔に汗してパンを食べ、ついに土にかえる。人は塵だから塵に帰る。アダムは女をエバ(命)と名づけた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
    女は男に支配されると、はっきり述べられている。ここでも男性優位を表している。また、アダムが女を‘命あるものの母’という意味のエバと名前をつけたことからも、女の役割は出産であると表現されている。では、男はどうか。男は神から直接的に罰を与えられていない。神の男に対する罰とは、女のような肉体的な罰ではなく、地を呪うという人間自身ではなく、環境面での罰であった。神の男と女への罰は同等ではなかった。ここでも神の男と女に対する差別が表れている。

    創世物語からみる限り、聖書は女性が劣った位置を占め、男に従属する役割を引き受ける性差別を描き、支持している。女は、誘惑されるという弱さだけではなく、男にも誘惑をもたらすとキリスト社会では非難されていた。また、女を出産の枠に閉じ込めようとする考えもここから生まれてきたし、男に比べて神の、女への罪の大きさがはっきりとわかる。

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  5. 第三章 イエスの女性観
    Ⅰ 12使徒
    12使徒とは、イエスが神の国と救いの教えを伝えるために、弟子の中から特に選んだ12人のことである。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、シモン、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、ユダ(後にセッテヤが代わる)が12使徒である。この使徒らは全員、男である。12人ともが男であるということに、疑問を感じる。イエスは女性を差別しているから、男のみを使徒に選んだのではないかと思ってしまう。故意的にイエスは女性を使徒に加えなかったと言われてはいるが、なぜ男ばかりが選ばれたのかは、それについて何もイエスや、その他の伝記で記していないのではっきりとはわかっていない。ただ、イエスが神の教えを伝える重要な役割に男ばかりを選んだことが、後世のキリスト教信者に女性排除の考えを根付けたのは言うまでもないことである。

    Ⅱ 女性の弟子
    だが、イエスの弟子は男ばかりではない。女性の弟子も多くいたと言われている。復活に関する伝承で「マルコ福音書」では、十字架にかけられたイエスの最後を見守った人、そして復活のイエスの最初の目撃者は、マグダラのマリアをはじめとする女性弟子であったことを伝えている。
     『マルコ福音書』16
     イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに7つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし、彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
    12使徒の筆頭であり、さらにはカトリック教会では初代ローマの司教とみなされたペテロに匹敵するような立場であったこの女が、マグダラのマリアである。そのような女が、他の弟子らにイエスの復活を知らせても信じてもらえないことは、考えにくい。女性であったから、女の言うことだから、受け入れてもらえなかったということが多少なりともあったに違いないと思うが、これについてははっきりしていない。

    Ⅲ ユダヤ教社会 ~律法による女性差別、財産や物としての女性~
    イエスの存在していた当時の社会、ユダヤ教社会は、律法を基盤とした社会であった。当時の社会は一夫多妻制が認められ、一方的に男性を支えている、女性の無権利社会、男性支配の社会であった。一夫多妻制とは律法によれば、男性が既婚の女性と通じれば、姦淫の罪とされ、石打の刑によって殺されたが、男性が未婚の女性と通じた場合、その女性を妻とすれば合法となった。姦淫とは、結婚している関係を外から侵害することを意味する。
     既婚の女性は、妻は夫の所有物であり夫の財産となるから姦淫は、その夫の財産に影響を与える。未婚の女性は、その父親の財産であるので、父親の財産に影響を与える。当時、処女性は非常に価値のある女性の特質として語られていた。男たちは、妻には処女をめとるよう忠告され、時には命令されており、妻には初夜までには処女を守るよう忠告、命令されていた。父親は娘が、性的に価値の高いまま、ふさわしい男性と結婚させる必要があるから、もしその処女が傷ついてしまうと財産価値が減るので、結婚時には多額の結婚資金を娘に持たせなければならない。また、結婚相手を女性当人が決めるのではなく、父親が決めることが一般的であった。けれども、もし結婚までに、女性が誘惑されるか、強姦されるかして、女性には何の落ち度もないのに、処女を失う場合、誘惑者はその女性を自分の妻とし、さらにその女性の父親に花嫁料に当たるほどのお金を払わなければならなかった。女は、結婚という形で取引きされていた。また、当時、女性を処女のまま育て、多大な結婚資金を持たせて結婚させることは、家庭的に大きな負担となったので、家庭で二人目の女の子が生まれると殺すことがあった。また、離婚は許可されていたが、男性の一方的なもので、スープを焦がしたからとか、声が悪いとかちょっとしたことが原因でもすぐに離婚できた。

    Ⅳ イエスの死
    イエスの死は、キリスト教の教えの基本では、人間の罪を背負った死だと教えられている。この人間の罪とは、創世記でのアダムとエバが神にそむき、犯した罪の事をさしている。アダムとエバの子孫である私たち人間は皆、生まれながらにして、この罪を背負わされた‘罪人’であり、この罪は、普通の人間の力では消しようがないのである。その人間を救ってくれたのが、キリスト教ではイエスだと考えられている。だが、女性差別主義者は、イエスが人間を救うために死んだのは、すべて女(エバ)が悪いのだという考えを持っている。女のせいで、女が誘惑に負けたせいで、キリストは死ななければならなかったと。

    イエスは女性差別をしていたとは、言えない。ただ、イエスのいた社会、ユダヤ社会では明らかに女性差別をしており、女性は常に父親や、夫の所有物であり、何らかの物であったり、何らかの手段としてのみ男性に使われていた。イエスは、そんな社会に気にすることなく、弟子に女性を受け入れたり、女性の病気を治したりしていた。なので、女性を‘物’扱いしなかったし、女性差別というものは心になかったようだ。だが、理由のはっきりされていない男性ばかりの12使徒や、イエスの死を女性のせいにして、後世の人が女性を差別するのは、イエスには直接的には関係しないが、間接的に関係しているといえよう。

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  6. 第三章 パウロの女性差別
    パウロは、元熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒迫害に加わったが、復活したイエスに接したと信じて、回心し、生涯を伝道に捧げた。キリスト教をローマ帝国に普及するのに最も功の多かった伝道者として有名である。
     また、パウロは各地を伝道していきながら、各地の教会に手紙を送っていた。新約聖書の書簡にも記されている手紙で、パウロはキリスト教の信仰内容を述べている。以下で使用しているのは、そのうちの「ガラテヤ人への手紙」、「コリント人への手紙1」と「テモテ人への手紙」である。「ガラテヤ人への手紙」は、新約聖書のパウロの手紙の中でも最も古く、紀元48年ごろに書かれたものである。これは、ガラテヤをパウロが訪問し、キリスト教を説いたが、その後に来たユダヤ教徒によって、ガラテヤでは改宗を促されたので、パウロは手紙を送った。「コリント人への手紙」は、ローマ帝国における有数の大都会で、ギリシャ半島のコリント地峡の北端にコリントという町があり、そこの教会にパウロが紀元50年に一度訪問し、紀元54年ごろから手紙を書き送った。当時コリントの教会にはいろいろな党派が生じ、お互いに争っていた。その他にも、コリントの町が風紀上あまりよくないこともあったのであろうか、教会内部にも、さまざまな道徳上の問題が生じていた。それらを、後にコリントからやってきた人々から事情を聞き、さらに具体的な問題に関する質問もあったので、パウロは手紙を書き始めたのである。そして「テモテへの手紙」は、直接パウロが筆をとったのではなく、パウロの弟子たちがパウロの手紙の形式でパウロの思想を述べたものとされている。

    Ⅰ 男女平等を説くパウロ
    「あなた方は皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼をうけてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ているのです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません。あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」 (『ガラテヤ人への手紙』3章28節)
    パウロは、男と同等なものとしての女の新しい身分をイエスにおける、洗礼を通して得たものとして男女平等を支持している。また、女性が男性とまったく同様に、預言者になりうるし、彼女らも夫とともにイエスの霊に直接に触れていたことを認めている。ただ、パウロの時代の女性の地位はきわめて低かった。だから、パウロがこのようなことを述べていることは、当時の人々に衝撃を与えたに違いない。

    Ⅱ 独身主義を勧めるパウロ
    パウロはコリント教会から「結婚すべきか」という質問を受け取った。
    「男は女に触れないほうがいい。しかしみだらな行為を避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめいの夫を持ちなさい。夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。…しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚したほうがましです。…以上のことは譲歩のつもりでいうのであって、命令するのではない。わたしとしては、みんなが私自身のようになってほしい。」(『コリント人への手紙1』7章1,7,9節)
    パウロは独身であり、原則的には独身を勧め、理想としては禁欲生活を送ることだと言っている。「男は女に触れないほうがいい。」とあるのはその意味である。だが、独身や、禁欲主義を強制したのではない。独身か、結婚かは各人の判断によってきめてよいといっている。ただ、独身でいるほうが主のためにもっと自由に仕えることができると考えていた。

    Ⅲ 女性差別の先駆者、パウロ
    パウロはコリントの教会から、礼拝において女性が頭に被り物をするかどうかという質問を受けた。
    「女は誰でも祈ったり、預言したりする際に、頭にものを被らないなら、その頭を侮辱することになります。それは髪の毛をそり落としたのと同じだからです。」
     「男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物を被るべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは男が女からでてきたのではなく、女が男から出てきたのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。」
    (『コリント人への手紙1』11章4~8節)
    これは、コリントの女性たちが、神の霊感に導かれて預言したり、祈ったりするときに髪の覆いを着けずにいたことを聞き、苛立ち、女性の平等を認めるのを躊躇しているのである。ここではっきりと、パウロの男女平等説と矛盾していることがわかる。男のみが神の似姿であり、女はそうではないと主張している。パウロは、女は、男を表すものだと述べ、女は明らかに劣性であり、男のためにあるものだと直接的に女性差別を表現している。
     
     「婦人はまったく従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ静かにしているべきです。なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。しかもアダムはだまされませんでしたが、女はだまされて罪を犯してしまいました。しかし、婦人は信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子供を産むことによって救われます。」(『テモテ人への手紙1』2章11~15節)
    このような発想から、創造物語での堕罪より、アダムの妻エバが原罪の原因であり、女性は誘惑に負け、さらにはアダムをも罰に至らしめた悪魔だという考えがなされるようになった。そしてすべての女性は結局エバであり、だから生まれつき罪深いものだというような歪んだ考えが生まれてきた。また、女性の救いは、子供を産むことに見出されるとしている。だが決して男より優ることは許されないと述べている。男性優位をはっきりと表している。

    パウロは、男女平等とともに女性差別の両方を唱えているが、女性差別の先駆者といわれるほど、後世に女性差別の影響を与えている。『テモテ人への手紙』を書いたパウロの弟子たちは、パウロ主義者で教会教父であり、女性差別主義者と呼ばれている。パウロの教会での女性のあり方を述べた『コリント人への手紙1』14章35節での「婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。…何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会で発言するのは恥ずべきことです。」は、教会での女性の権力のなさ、また、男性優位を表す文章として、後の教会においての女性を規定しているものであった。

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