白鳥省吾福田君の第一詩集「農民の言葉」は装幀校正ともすべて私がやった。装幀は愛読したピーター・クロポトキンの「相互扶助」の普及版がたいへんいいと思ってそれを模した。数年後の大正九年一月に帝大教授の森戸辰男氏がこのアナーキストを紹介して、大学を追放されたのは人の知るところである。福田君は私と逢って間もなく、家庭の事情で学校をやめ、川崎在のその頃の橘樹郡平間村の小学校に就職した。その時の農村見聞録がこの一巻の詩集を成した。
たった82年前に、多摩川沿いで、農民たちが洪水に怯えながら暮らしていたということを、もう誰も知らない。
写真の作品「農民の言葉」は、詩集「農民の言葉」の第三部に収録され、その書名ともなった。
白鳥省吾
ReplyDelete福田君の第一詩集「農民の言葉」は装幀校正ともすべて私がやった。装幀は愛読したピーター・クロポトキンの「相互扶助」の普及版がたいへんいいと思ってそれを模した。数年後の大正九年一月に帝大教授の森戸辰男氏がこのアナーキストを紹介して、大学を追放されたのは人の知るところである。福田君は私と逢って間もなく、家庭の事情で学校をやめ、川崎在のその頃の橘樹郡平間村の小学校に就職した。その時の農村見聞録がこの一巻の詩集を成した。
たった82年前に、多摩川沿いで、農民たちが洪水に怯えながら暮らしていたということを、もう誰も知らない。
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