Thursday, November 1, 2012

斎藤成也

先月、国立民族学博物館(民博)に研究会で訪れたときに、最近はポリタンクがアフリカ文化を紹介する部分で展示されていると耳にしました。そこで、見に行きました。ありました。みにくかった。ただのポリタンク。そりゃ現地の人にとっては、水を汲みに行く道具として重要でしょう。でも、現代文明から見れば、どこかのぱっとしない工場で生産されたモノにすぎません。それを堂々と博物館で展示している人々の気分が理解できませんでした。
たしかに、民博の初代館長、梅棹忠夫さんは、展示物をガラクタと表現しました。でもそれは彼一流のてらいだったのではないでしょうか。博物館に来る人は、民俗資料であっても、それなりに美しいものを求めているのではないでしょうか?事実、このポリタンクをのぞけば、ギターですら美しかったです。

1 comment:

  1. 国立民族学博物館のポリタンク

    http://sayer-says-japanese.blogspot.jp/

    by 斎藤成也

     先月、国立民族学博物館(民博)に研究会で訪れたときに、最近はポリタンクがアフリカ文化を紹介する部分で展示されていると耳にしました。そこで、見に行きました。ありました。みにくかった。ただのポリタンク。そりゃ現地の人にとっては、水を汲みに行く道具として重要でしょう。でも、現代文明から見れば、どこかのぱっとしない工場で生産されたモノにすぎません。それを堂々と博物館で展示している人々の気分が理解できませんでした。

     たしかに、民博の初代館長、梅棹忠夫さんは、展示物をガラクタと表現しました。でもそれは彼一流のてらいだったのではないでしょうか。博物館に来る人は、民俗資料であっても、それなりに美しいものを求めているのではないでしょうか?事実、このポリタンクをのぞけば、ギターですら美しかったです。

     昔、ウイーンの民族学博物館を見学したとき、ついにコハウロンゴロンボに出会いました。子供のころからの夢でした。イースター島の住民から略奪したのか、高額で引き取ったのか、知りませんが、とにかくガラスの容器にまもられて、博物館の重要なタカラでした。ポリタンクとは雲泥の差です。

     ここで、民芸運動を思い起こさずにはいられません。柳宗悦が主導した民芸運動は、私にとっては、産業革命が成熟しないあいだの、「あだばな」にすぎません。産業革命の初期の成果は、大量に同じような製品を安価に生産することでした。この論理は現在にも通じています。この歴史の流れに対して、抗しようとしたのが、民芸運動だったと思います。人間が、職人が介在することによって生じるランダムな揺らぎに由来する、個々の製品の独自性。しかも美しいものが生み出されている。これこそが民芸運動の理想だったのでは?

     私の父、斎藤光夫こと、原子光生は、民芸運動に心酔し、福井民芸の会を立ち上げました。私は高校生のころから、民芸運動に疑問でした。そして、まさに柳宗悦の息子、柳宗理氏が父親に反旗を掲げていたのです。彼は著名な工業デザイナーでした。これは私の父から直接聞いたことですが、柳宗理氏は、大量生産される工業製品にも美があり、それらもまた現代的な民芸品だと主張したそうです。これに対しても、私は疑問です。

     偶然の要素が無く、まったく同一の醤油瓶が何百万個も生産されたとき、それを民芸品だといえるでしょうか?キッコーマンのあのガラス製の醤油瓶は、たしかに美しいです。でもそれは、たしか えくあんけんじ という工業デザイナーがデザインしたものであり、工場の職人の名前は忘れられ、彼の、デザイナーとしての名前だけが残ります。これは民芸品の対極に位置するものです。

     一方、ランダム性は、工業化が進めば、NC制御で作り出すことが可能です。かすりの、あの美しいばらつきも、現在では疑似乱数かなにかを発生させて、機織り職人のわざをまねすることができます。

     ともあれ、これらの問題点があるので、民芸運動はあきらかにすたれつつあります。福井民芸の会も、若い人が加わらず、数年前に解散しました。

     さて、ここで民族学です。論理は民芸運動に似ているのではないでしょうか。

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