C. ダグラス ラミス
- 「正当な暴力」を使う権利は、国民が国家に持たせたものだ
ー 国家によって殺さた人の数はこの百年間で 203,319,000
- 国家は国民を守ってくれない
ー 国家によって殺されているのは、外国人より自国民のほうが圧倒的に多い
- みんなが経済発展すると地球がもたない
ー 経済発展で貧困は解消しない。そればかりか経済発展は自然を破壊しつくす
- 経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか
ー 国家が信用できるとか、政府が正義の体現者であるとか、政治家が智恵を持っているとか、会社の経営者が公共心を持っているとか、軍隊が平和を守るとか、そういうことを信じるような、子供だましのロマンティシズムのなかにいる時ではない。今こそやらなくてはならないことは、想像上の世界ではなく、現実の世界について考えることなのだ。
多くの人がこのように現実的に(非タイタニック的に)考えるようになって初めて、パークが言う理想社会に近づくことが可能になる。つまり、もちろん智恵や倫理について考えなくてもいい社会などはありえないのだが、少なくとも、普通の日常生活を送ってもそれが危険で破壊的ではないような社会に切り換わる可能性(保証ではないが)が現れてくるだろう。
経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか
ReplyDeleteby C.ダグラス ラミス
http://www.amazon.co.jp/経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか-C-ダグラス-ラミス/dp/4582702279
海兵隊員として沖縄に駐留した経験を持ち、1980年から20年間にわたり津田塾大学の教授を務めた著者。その後は沖縄を拠点に執筆や講演を中心に活躍し、『憲法と戦争』などの著書がある。語り下ろしである本書は、タイトルどおりのテーマを「発展」「現実的」といった当たり前に使われる言葉とともに考え直していく過程が興味深い。
第1章で語られる「タイタニック現実主義」というたとえが、著者の現状に対する憂いをよく表している。もし、エンジンを止めたら仕事が無くなるから非現実的だとして、目の前の氷山に突き進むタイタニック号があったとしたらどうだろうか。環境問題、南北問題がなかなか改善されないこと、しかし実際には多くの人々がその原因には気付いていることを考えると、この世はまさにタイタニック号であるのかもしれない。第4章の「ゼロ成長を歓迎する」では、ゼロ成長を「エンジンの故障」ではなく機会ととらえ、経済以外の価値を発展させていく「対抗発展」が説かれる。
たとえば平和を口にする人間が理想主義者として嘲笑される。著者の憂慮するそんな傾向は確かにあるようだ。しかしそこで一歩進んで、現実的に考えよと説く人々にとっての「現実」を分析してみると、必ずしも大多数の人間にとっての幸福にはつながらない、つまり現実的ではない点も多いことがわかる。本書のターゲットは、主に漠然とした危機感を抱いている人々であるというが、むしろ自分は現実主義者であると自負する人こそ、本書に目を通してみるべきかも知れない。そこに生まれる論議こそ、実りあるものではないだろうか。
(工藤 渉)