Sunday, November 29, 2009

遠藤周作

この巴里の家も路も石の集積だし、その石に一つ一つの長い長い歴史の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。ぼくみたいに二年もいると、この重みと圧力が肉体にも心にも苦痛になってくるんです。
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巴里に来る日本人には三つの型があるようですな。その重みを全く無視する連中と、その重みを小器用に猿真似する奴と、それからそんな器用さがないために僕みたいに轟沈してしまう人間と。
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こんなつまらん小さな美術館一つ入っても、僕ら留学生は長い世紀にわたるヨーロッパの大河の中に立たされてしまうんだ。僕は多くの日本人留学生のように、河の一部をコソ泥のように盗んでそれを模倣する建築家にはなりたくなかっただけなんです。河そのものの本質と日本人の自分とを対決させなければ、この国に来た意味がなくなってしまうと思ったんだ。

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