Thursday, September 13, 2012

加藤周一

細部は全体から独立してそれ自身の形態と機能を主張する。それが非相称的美学の背景にある世界観であろう。その世界観を時間の軸に沿ってもれば「今」の強調であり、空間の面からみれば「ここ」、すなわち眼前の、私が今居る場所への集中である。時間および空間の全体を意識し、構造化しようとする立場に立てば、相称的美学が成り立つ。相称性は全体の形態の一つだからである。時空間の「今=ここ」主義を前提とすれば、それ自身として完結した部分の洗練へ向うだろう。

7 comments:

  1. 日本文化における時間と空間

    by 加藤周一

    全体に対して部分を重視する傾向である。時間における「今」の強調は、時間の全体に対しての部分の自律性(自己完結性)の強調と考えることもできる。したがって空間における「ここ」の重視、さらにはここ=限られた空間を構造化するのに全体の型よりも部分の質に関心を集中する態度と呼応するだろう。「全体から部分へ」ではなく、「部分から全体へ」という思考過程の方向性は、「今=ここ」の文化の基本的な特徴である。

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  2. 東京の機能(安全、公衆衛生、郵便、電話等)の効率を強調し、それを「隠れた秩序」とよんだのである。そのことにも私は賛成する。しかしそこから「美学」について語るのは無理だろうと思う。水道の水をそのまま飲んで下痢をしないのは、素晴らしい機能である。しかし公衆衛生の高い水準を支える秩序は、美的秩序ではない。

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  3. 異民族や異文化を支配するためには、物理的な暴力による強制とともに、支配を正当化する言説を必要とする。その言説は、被支配者に対しても説得的でなければならない。あるいは少なくても支配者の側が、説得的であり得ると考え、主張することのできるものでなければならない。そういう言説が生み出されるのは、境界の開かれた文化圏のなかからであって、閉じた地域文化のなかからではない。

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  4. 連歌の流れはあらかじめ計画されず、その場の思いつきで、主題を変え、背景を変え、情緒を変えながら、続くのである。その魅力は、作者にとっても、読者にとっても、当面の付句の意外性や機智や修辞法であり、要するに今眼の前の前句と付句との関係の面白さである。面白さは現在においても完結し、過去にも、未来にも、係わらない。連歌とは、過ぎたことは水に流し、明日は明日の風に任せて、「今=ここ」に生きる文学形式である。

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  5. 戦後世代の戦争責任

    by 加藤周一

    マスメディアを通しての政府の大衆操作・世論操作、大勢順応主義、鎖国心理。この三つが揃って戦争になる。

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  6. 『過去の克服』覚書

    by 加藤周一

    第一に、少数の狂信的な超国家主義者がいた。

    第二に、極めて少数の反戦主義者で、戦争に非協力の立場を貫いた人々もいた。
    彼らの多くは、いわば国内亡命の状態にあったといえるだろう。

    第三に、権力機構の内部に入って、その動向を少しでも合理的・人間的な方向へ変えようと望んだ知識人がいた。善意の戦争協力者を代表していたのかも知れない。

    第四に、多くの知識人は、日本型「ファッシズム」の体制に批判的であったが、始めた戦争には勝たなければならない、したがって戦争努力には協力しなければならない、と考えた。

    第五に、もっと多くの知識人は、要するに大勢順応主義者であったのだろう。狂信的超国家主義者ではなかったが、超国家主義とそれぞれに折り合いをつけて暮らしていた。

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  7. 私にとっての20世紀

    by 加藤周一

    大勢順応主義

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