Wednesday, September 12, 2012

孫崎享

戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられた圧力と、それにたいする「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だったということです。
このふたつの外交路線の相克が、実は第二次大戦以降、日本の歴史全体の骨格にもなっているのです。
日本だけではありません。世界中の国々の歴史は、大国との関係によって決まります。そのことがわかれば、自国の歴史も国際情勢も、まるで霧が晴れるようにくっきり見えてくるのです。
「米国は日本を同盟国として大切にしてくれている」
「いや、そうではない。米国は日本を使い捨てにしようとしているのだ」
日本では、よくそういう議論を聞くことがあります。でも、どちらも事実ではありません。正しくは、
「米国との関係は、そのときの状況によって変化する」
ということなのです。

2 comments:

  1. 戦後史の正体

    by 孫崎享

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  2. はじめに

    日本の戦後史を動かす原動力は、米国に対するふたつの外交路線です

     孫崎享です。たくさんの本のなかから、この本を選んでもらってありがとうございます。

     いま、あなたが手にとってくださったこの本は、かなり変わった本かもしれません。というのも本書は、これまでほとんど語られることのなかった「米国からの圧力」を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。「米国の意向」について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです。

     私は一九六六年に外務省に入りました。最初に英国陸軍学校に派遣され、ロシア語を学んだことがきっかけとなり、その後、西側陣営から「悪の帝国」とよばれたソ連に五年、「悪の枢軸国」とよばれたイラクとイランにそれぞれ三年ずつ勤務しました。他国の外交官を見てもほとんど例のない、貴重な経験をしたことになります。その間、東京では主として情報分野を歩き、情報部門のトップである国際情報局長もつとめました。

    「悪の帝国」であるソ連や、「悪の枢軸国」であるイラクやイランがどのように動こうとしているのか、なぜいま敵対的行動をとろうとしているのか、各国の情報機関と連携して情報を集め、分析し、対策を考えるのが私の仕事だったのです。

     その後、二〇〇二年に防衛大学校の教授となり、七年間、みずからの体験を振りかえるとともに、戦後の日本外交史を研究する機会をもちました。そのなかでくっきりと見えてきたのが、戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だったということです。

     たとえば普天間問題を例にとってみましょう。

    「普天間基地は住宅の密集地にあり、非常に危険である。もともと米軍基地はあまりにも沖縄に集中しすぎている。だから普天間基地を県外または国外へ移設しよう。そのことを米国にも理解してもらおう」

     とするのが、「自主」路線といわれる立場です。

     一方、「米国は普天間基地を同じ沖縄県内の辺野古に移転するのが望ましいと考えている。米国の意向に反するような案を出せば、日米関係全体にマイナスになる。だからできるだけ米国のいうとおりにしよう」

     とするのが「対米追随」路線といわれる立場です。

     このふたつの外交路線の相克が、実は第二次大戦以降、日本の歴史全体の骨格にもなっているのです。

     日本だけではありません。世界中の国々の歴史は、大国との関係によって決まります。そのことがわかれば、自国の歴史も国際情勢も、まるで霧が晴れるようにくっきり見えてくるのです。

     だから私は本書のなかで、日本の戦後史を、このふたつの路線の戦いとして描いてみようと思います。「自主」と「対米追随」、このふたつの路線のあいだで最適な回答を出すことが、これからも日本人には求められつづけるからです。

          

     米国の対日政策は、世界戦略の変化によって変わります

     

     第二次大戦をへて、米国は世界最強の国になりました。米国には世界をどう動かし、経営していくか、明確な戦略があります。その世界戦略のなかで、米国は他の国をどのように使うかをつねに考えています。当然、日本もその戦略のなかにふくまれます。

    「米国は日本を同盟国として大切にしてくれている」

    「いや、そうではない。米国は日本を使い捨てにしようとしているのだ」

     日本では、よくそういう議論を聞くことがあります。でも、どちらも事実ではありません。正しくは、

    「米国との関係は、そのときの状況によって変化する」

     ということなのです。

          

     将棋の盤面を考えていただければよいと思います。米国は王将です。この王将を守り、相手の王将をとるためにすべての戦略が立てられます。米国にとって、日本は「歩」かも知れません。「桂馬」かも知れません。「銀」かも知れません。ときには「飛車」だといってチヤホヤしてくれるかもしれません。それは状況によって変わるのです。

     しかしたとえどんなコマであっても、国際政治というゲームのなかで、米国という王将を守り、相手の王将をとるために利用されることに変わりありません。状況しだいでは見捨てられることもあります。王手飛車取りをかけられて、飛車を逃がす棋士はいないでしょう。一瞬のためらいもなく、飛車を見殺しにする。あたりまえの話なのです。

     対戦相手の王将も、ときにソ連、ときにアルカイダ、ときに中国やイランと、さまざまに変化します。それによって、日本も「歩」になったり、「桂馬」になったり、「銀」になったりと、役割が変わるのです。

     日本のみなさんは、戦後の日米関係においては強固な同盟関係がずっと維持されてきたと思っているでしょう。そして日本はつねに米国から利益を得てきたと。とんでもありません。米国の世界戦略の変化によって、日米関係はつねに大きく揺らいでいるのです。おそらくみなさんもこの本をお読みになることで、日米関係の本当の姿がおわかりになると思います。

     では、米国が日本をコマとして動かそうとするとき、日本はそれにどう対処したらよいのでしょう。

     米国は軍事面、経済面で日本より圧倒的に強い国です。その現実のなかでどう生きていくか。それが日本にあたえられた大きな課題です。

     ひとつの生き方は、

    「米国はわれわれよりも圧倒的に強いのだ。これに抵抗してもしようがない。できるだけ米国のいうとおりにしよう。そしてそのなかで、できるだけ多くの利益を得よう」

     という選択です。

     もうひとつの生き方は、

    「日本には日本独自の価値がある。それは米国とかならずしもいっしょではない。力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか、それが外交だ」

     という考えをもつことです。

     私は後者の立場をとっています。

    「力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか」

     それが今後の日本人にとって、もっとも重要なテーマだという確信があるからです。またそれは、この本をお読みになればわかるとおり、いまではすっかり失われてしまいましたが、かつては日本の外務省の中心的な思想でもあったのです。私自身もまた、そうした外務省の思想の系譜に属する人間であると思っています。

     多くのみなさんにこの本を手にとってもらい、戦後の日米関係と日本社会のあり方を問い直していただければと思います。この本の知識が日本人の常識になれば、新しい日本がはじまります。

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