Monday, January 3, 2011

楊海英

・・・国民政府の軍隊が前線で日本軍と死闘を繰り広げていた際、共産党はアヘン製造に集中していた。延安で女性を抱き、ソ連から伝わったヨーロッパ式のダンスパーティーに興じていた。
・・・文革時も、モンゴル人を殺害する行為は革命行動として推奨された。
・・・騙されて共産党に参加させられた解放軍に編入させられた内モンゴル兵士は)鮮戦争の際には最前線に立たされて人海戦術の消耗品となった。
・・・人民的好総理と謳歌されている周恩来でさえ、モンゴル人指導者たちに革命大衆の憎しみの矛先を転嫁させようとした。
・・・内モンゴル自治区でも「封建的な残滓」とされた民族衣装を漢族の人たちがまとい、「モンゴル人」と「朝鮮人」を演出した。この「伝統的な演出」は2008年に開かれた北京オリンピックの開幕式でも踏襲された。
● モンゴル人はひどい国に編入されたものだと思いました。飢餓なんて、満洲国時代にはなかったですもの。
● 私は生き地獄をみました。目が失明させられた者、腕や足を切断された者、そして頭の中なかに釘を打ち込まれた人など、言葉では表現できない惨状でした。
● 中国の漢人たちは確かに、ここ数年で豊かになってきました。しかし、我が内モンゴル自治区は略奪されつづけています。モンゴル人たちは極貧生活を強いられています。極貧生活を送るモンゴル人たちが少しでも自己主張をすれば、たちまち民族分裂主義者だと批判されてしまいます。
● 今のモンゴル族は中国の奴隷にすぎません。

2 comments:

  1. 『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』 楊海英

    岩波書店 !!!

    他に先がけて文革の火蓋が切られた内モンゴルでは、かつて日本時代に教育を受けた者たちが、「内モンゴル人民革命党」一派として粛清された。さらに階級闘争論によって、漢族による草原の開墾とモンゴル族の迫害が正当化され、家畜と遊牧地は奪われ、モンゴル人への殺害がエスカレートしていった。戦慄の悲劇を招いた内モンゴルの文革。その要因と拡大化の実態を、体験者の証言を軸に克明にたどる。

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  2. 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(2009年)12月28日(月曜日)通巻2822号(12月27日発行)より引用。

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