Wednesday, August 15, 2012

徳山二郎

日本人は、「人間悪」を正面から見据えて、それに厳しく対処できるような強さがなく、「悪」を犯した者に対する処罰、間違った意思決定者に対する処罰が、欧米社会と比べて極めて微温的である。
アメリカではリーダーたる者は巨悪にひるむことなく対決する。また制度面でも社会悪に対する処罰はたいへん厳しい。
社会の悪を暴くべき新聞やその他のマスコミも、各官庁が無料で提供している記者クラブにたむろして、政府発表を疑うことなく、そのまま記事にしている例が多い。太平洋戦争中、当局の報道規制があったとしても、日本を戦争に突入させようとする政府指導者たちの間違いや無策を批判したり、いさめた新聞社は一社もなかった。戦後も、マスコミの時流に阿る報道姿勢は変わらない。世論の動向に疑問を呈すべきマスコミが、国民のムードや気分に合わせて記事を書いているとしか思えない。
日本人はもっと真正面から「人間悪」を見つめ、その悪を抑える政治、社会、経済のシステムをしっかり組織し、築いていかなければならない。
特にここ数年、日本人の価値観は、自己中心的になり、「自分に得か損か」で事を決めるようになり、危うきには近寄らないようになってしまった。しかし、絶望してはならない。いま一度、日本人の精神の本源に立ち戻り、倫理、道徳や政治思想を高度なものにし、理想に近いものにするよう努力すべきである。
「身を殺して仁をなす」ということだ。そして、今こそ、歴史的反省の上に立って「千万人と雖も吾往かん」という意気込みで、自分が正しいと信じたことならば、どこまでも主張する日本人が一人でも多く輩出することを祈らずにはいられない。

2 comments:

  1. 「人間悪」に甘い日本

    by 徳山二郎

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  2. 太平洋戦争を振り返ると、日本人が多くの点で「神がかって」しまって、客観的、論理的に日本国というものを把握していなかったということが明らかになる。
    要するに、日本はあのような国運をかけた大戦を行うにあたって、自国を客観的、合理的に把握していなかったのである。
    今の日本は世界の中での日本を本当に客観的に捉えているだろうか。バブル前に、金にまかせてアメリカの不動産を買い漁ったときの日本は、日本企業の力を客観的に把握しておらず、その対米交渉力はまさに太平洋戦争当時の日本陸軍のような驚くべき愚かなことをやっていたのだ。

    日本人はセンチメンタルな面を多分に持つ心優しい民族で、人の不幸には同情の心を寄せる傾向がある。この点は褒めてよい美点なのだが、その同情心はいささかセンチメンタルに過ぎて、それが日本人の正邪善悪の判断に入り込んで全体の調和を乱してしまうところがある。

    戦後には貧富や身分の格差が極めて少ない豊かな平等社会を実現した。その成果を誇ることはよいのだが、それと同時に、その短所についても深く考えて社会システム(法制度、官民の関係、組織運営など)を再構築していかなければならない時期にきている。
    平等社会とは横並びの社会であり、皆が同じである限り無事平穏である。けれども、その横並びシステムを乱す者が出てくると、それを皆で引きずり落としてしまう傾向がある。横並びの社会では、人は自分の考えを確立して一人で行動することをせず、安易に多数意見に迎合したり、妥協したりして、自己という「個」の意見が出てこない。
    日本は「コンセンサス社会」と表現されるほど「根回し」あるいは「ボトム・アップ方式」が相変わらず続けられており、ものごとが「玉虫色」のままに進められる場合が多々ある。このような意思決定方式は日本の環境では合理的なところもあり、平穏な時には確かに効果があった。また日本の一般教育水準が高く、年功序列制度のもとでは、ボトム・アップ方式を無視することはできなかったのかもしれない。無視をすれば下はやる気をなくし、組織そのものの活力が低下すると考えられていたからだ。ただし、一方で責任の所在が不明確だという弱点を包含しており、このボトム・アップ方式の下では、リーダーは結果に対する責任を十分にとろうとはしない。また「根回し」に皆が関与した手前、周囲もトップの責任を敢えて追求しようとしないわけだ。まさに馴れ合いの社会、緊張感を欠いた組織が出来上がってしまっているのだ。

    日本人は、「人間悪」を正面から見据えて、それに厳しく対処できるような強さがなく、「悪」を犯した者に対する処罰、間違った意思決定者に対する処罰が、欧米社会と比べて極めて微温的である。
    アメリカではリーダーたる者は巨悪にひるむことなく対決する。また制度面でも社会悪に対する処罰はたいへん厳しい。

    社会の悪を暴くべき新聞やその他のマスコミも、各官庁が無料で提供している記者クラブにたむろして、政府発表を疑うことなく、そのまま記事にしている例が多い。太平洋戦争中、当局の報道規制があったとしても、日本を戦争に突入させようとする政府指導者たちの間違いや無策を批判したり、いさめた新聞社は一社もなかった。戦後も、マスコミの時流に阿る報道姿勢は変わらない。世論の動向に疑問を呈すべきマスコミが、国民のムードや気分に合わせて記事を書いているとしか思えない。

    日本人はもっと真正面から「人間悪」を見つめ、その悪を抑える政治、社会、経済のシステムをしっかり組織し、築いていかなければならない。
    特にここ数年、日本人の価値観は、自己中心的になり、「自分に得か損か」で事を決めるようになり、危うきには近寄らないようになってしまった。しかし、絶望してはならない。いま一度、日本人の精神の本源に立ち戻り、倫理、道徳や政治思想を高度なものにし、理想に近いものにするよう努力すべきである。
    「身を殺して仁をなす」ということだ。そして、今こそ、歴史的反省の上に立って「千万人と雖も吾往かん」という意気込みで、自分が正しいと信じたことならば、どこまでも主張する日本人が一人でも多く輩出することを祈らずにはいられない。

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