憲法というものは何のためにあるのかを考えねばならない。それは主権者国民大衆が、サービス機関としての国家のオーナーであって、受益者である。だから、主権者国民は国家に対してよきサービスをしろ、と言える立場である。そういう意味で憲法は、主権者国民、国のオーナーが、国をあずかる権力者、すなわち政治家と公務員に対して、正しく振る舞わせるための指図書、すなわちマニュアルです。 。。。
あらゆる意味で憲法の趣旨や歴史的認識を正しく理解していない政治家が、改憲論議をしているわけです。つまり、海外派兵のような国の存続にかかわる重大なことは、主権者国民の最高意思として国家に枠をはめておくべきものであるのに、憲法を正しく理解していない政治家が前文で国民に国を愛する義務を課すとか、海外派兵は法律で定めると語っている。だから、その時の相対的多数決いいかえれば政治の都合で何でも決めることができてしまう。
憲法とは、国家権力の組織や権限、統治の根本規範(法)となる基本原理・原則を定めた法規範をいう(「法的意味の憲法」)。ただし、法規範ではなく国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もある(「事実的意味の憲法」)。
ReplyDeleteいずれの場合も、国家権力を制限するために存在するのが憲法であると解釈されます。
すなわち、憲法とは、国民の権利・自由を守るために国家権力の行為を制限するための法規なのです。
国家権力が国民に対して、法律によって国民の権利・自由を制限します。そして、その国家権力の行使が暴走・横暴にならないように憲法によって国家権力行使を制限します。
これは勘違いしがちのことですが、本来的意味で言えば、憲法とはわれわれ国民に向けられた規範ではありません。国家権力に向けられた規範です。
安倍政権は再び、「憲法第9条」改憲に挑む(前編)
ReplyDeleteby 金野 索一
日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121218/241250/?top_updt&rt=nocnt
金野:まず、日本の憲法9条が置かれている環境について。
ReplyDelete小林:もともとのデキの悪さは別に論ずるとして、憲法は規範として現在の形で制定されたものですが、現状で評価するならば、規範として全く機能していない、あるいは規律対象である権力によって全く無視されている。もちろん、護憲派は、「9条は一字一句改正されていない。9条は守られている」と言うかもしれませんが、実際のところは、憲法9条は全く守られていない。9条の従来の趣旨に対する賛否は別として、9条は完全に機能していない。
金野:9条は本来、権力を制御する意味での憲法ではあるのだが、それが機能していない。そこで先生が(前回の)安倍政権のときに、改憲の立場をとりながらも、「今の政権で改憲を進めることはいかがなものか。反対である」との趣旨をおっしゃっていたと理解していますが。
小林:まず第1に、9条とは直接関係ないですが、憲法というものは何のためにあるのかを考えねばならない。それは主権者国民大衆が、サービス機関としての国家のオーナーであって、受益者である。だから、主権者国民は国家に対してよきサービスをしろ、と言える立場である。そういう意味で憲法は、主権者国民、国のオーナーが、国をあずかる権力者、すなわち政治家と公務員に対して、正しく振る舞わせるための指図書、すなわちマニュアルです。
国が今乱れているのは、政治のリーダーシップが欠如している上、政治家が権力と利益は享受するが責任はとらないからです。そういう政治がずっと続いてきたが故に、国民全体が一緒になって、「利益は私に、負担はどこかに行け」というような国になってしまっているのではないか。そうした状況をとらえて、自民党の憲法改正案は「社会が壊れている。社会の一番小さなものは夫婦で、家庭である。一番大きなものは国内的には国家である。であるから、社会を取り戻すために憲法を使って主権者国民に向かって、国を愛せと義務づける」と言っている。憲法の何たるかがわかっていない連中に、このように権力側から国民へ支持する条項を入れようとする、まさに憲法改正を云々させるわけにはいかない。