NHK大河ドラマ50年特別展「平清盛」作品解説(その2)by miyamotohttp://www1.hpam-unet.ocn.ne.jp/blog/?p=3848国宝 西行筆 一品経和歌懐紙(いっぽんぎょうわかかいし)(鎌倉時代、京都国立博物館)西行(1118~90)は平安時代を代表する歌人。生涯2000首以上の和歌を詠み、西行筆とされる古筆切は数多く伝えられますが、真筆は極めて少なく、和歌懐紙では本作1点のみという極めて貴重なもの。この懐紙は現存最古の和歌懐紙・国宝「一品経懐紙(西行・寂蓮等十四枚)」(治承4・1180~寿永2・1183、京都国立博物館)に含まれるもので、平安末期を代表する歌人・能筆たちが法華経28品(品は「ほん」と読み、章の意味)の各品に因んだ和歌をよせています。帖装に仕立てられましたが、西行の懐紙ははがされて掛け軸装になっています。一切の衆生を救うことを唱える法華経は、末法思想が盛んになった平安末期に篤い信仰を集めた仏教の経典で、法華経を主題に和歌を詠むことで、その功徳にあやかろうとしたものです。西行はこの懐紙に法華経28品のうちの第5章・薬草喩品を主題に次の二首の和歌を詠んでいます。「ふたつなく みつなきのりの あめなれと いつゝのうるひ あまねかりけり」(二つ三つあるわけでなく唯一の仏の教えだけれど、あまねく衆生にふりそそぐ)「わたつうみの ふかきちかひに たのみあれは かのきしへにも わたらさらめや」(海のように深い仏の願いに縁があれば、彼岸にわたることができるのではないか)そのやわらかく繊細な筆使いから、皆様はどんな西行像を思い浮かべられるでしょうか? なお、本作の紙背には仏典が書き写されており、表から透けて見えていますが、紙が貴重だった時代には紙の両面を活用することはよく行われ、紙背文書も歴史理解に有益な多くの情報を含んでいます。西行は俗名を佐藤義清(さとう のりきよ)と言い、検非違使として都や御所の警護に当たる武家に生まれ、若年のころ徳大寺家(藤原北家、和歌・有職故実に通じた)に仕えたことがきっかけで和歌の道に入ったようです。武官として鳥羽院や崇徳院に奉仕しましたが、23歳で出家して諸国をめぐる旅に出、仏道と和歌に生涯を捧げました。藤原頼長(藤原氏の氏の長者となるが、保元の乱で敗退)は日記『台記』で、西行を「重代の勇士」と評し、「家富み年若く、心愁ひ無きも、遂に以て遁世す」とさわやかな青年が若くして出家したことを惜しんでいます。同じ年に生れた清盛とは対照的な人生。その自由で清新な和歌の作風とライフスタイルは後世の歌人たちに大きな影響を残しました。
NHK大河ドラマ50年特別展「平清盛」作品解説(その2)
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国宝 西行筆 一品経和歌懐紙(いっぽんぎょうわかかいし)(鎌倉時代、京都国立博物館)
西行(1118~90)は平安時代を代表する歌人。生涯2000首以上の和歌を詠み、西行筆とされる古筆切は数多く伝えられますが、真筆は極めて少なく、和歌懐紙では本作1点のみという極めて貴重なもの。この懐紙は現存最古の和歌懐紙・国宝「一品経懐紙(西行・寂蓮等十四枚)」(治承4・1180~寿永2・1183、京都国立博物館)に含まれるもので、平安末期を代表する歌人・能筆たちが法華経28品(品は「ほん」と読み、章の意味)の各品に因んだ和歌をよせています。帖装に仕立てられましたが、西行の懐紙ははがされて掛け軸装になっています。
一切の衆生を救うことを唱える法華経は、末法思想が盛んになった平安末期に篤い信仰を集めた仏教の経典で、法華経を主題に和歌を詠むことで、その功徳にあやかろうとしたものです。西行はこの懐紙に法華経28品のうちの第5章・薬草喩品を主題に次の二首の和歌を詠んでいます。
「ふたつなく みつなきのりの あめなれと いつゝのうるひ あまねかりけり」
(二つ三つあるわけでなく唯一の仏の教えだけれど、あまねく衆生にふりそそぐ)
「わたつうみの ふかきちかひに たのみあれは かのきしへにも わたらさらめや」
(海のように深い仏の願いに縁があれば、彼岸にわたることができるのではないか)
そのやわらかく繊細な筆使いから、皆様はどんな西行像を思い浮かべられるでしょうか? なお、本作の紙背には仏典が書き写されており、表から透けて見えていますが、紙が貴重だった時代には紙の両面を活用することはよく行われ、紙背文書も歴史理解に有益な多くの情報を含んでいます。
西行は俗名を佐藤義清(さとう のりきよ)と言い、検非違使として都や御所の警護に当たる武家に生まれ、若年のころ徳大寺家(藤原北家、和歌・有職故実に通じた)に仕えたことがきっかけで和歌の道に入ったようです。武官として鳥羽院や崇徳院に奉仕しましたが、23歳で出家して諸国をめぐる旅に出、仏道と和歌に生涯を捧げました。藤原頼長(藤原氏の氏の長者となるが、保元の乱で敗退)は日記『台記』で、西行を「重代の勇士」と評し、「家富み年若く、心愁ひ無きも、遂に以て遁世す」とさわやかな青年が若くして出家したことを惜しんでいます。同じ年に生れた清盛とは対照的な人生。その自由で清新な和歌の作風とライフスタイルは後世の歌人たちに大きな影響を残しました。