Sunday, August 22, 2010

千宗屋

ニューヨークは、アメリカの中でも突出して変わった場所で、世界中の人が集まり、共同体を形成している。そういう町でお茶をしていると、非常にしっくり来た。お茶というと、日本の伝統文化、純日本というイメージですが、そもそも非常に異種混交的な、ハイブリッドな文化なのです。
茶そのものも、お茶の背景となる禅の思想も、すべて中国から入ってきました。千利休以前は、道具にも、日本のものはほとんどなかった。中国や朝鮮、東南アジア、遠くヨーロッパの道具も使ったのです。茶席に掲げる掛け軸は、中国の水墨画や墨跡でした。
京都の禅寺は、今でこそ日本の文化を体現するような場と思われていますが、当時は公用語が中国語でしたし、中国大使館状態というか、中国の人と文化、思想の最新のものが集まっている場所だったのです。
茶の湯の文化が成立し、発展していく時、大きなかかわりを持ったのが堺でした。当時は国際貿易港で、中国、韓国、東南アジア、さらにヨーロッパとも交易があった。最先端の貿易都市の都市文化として、お茶が発達をしてきたのです。
京都はもちろん、当時の首都で、大都会ですから、人やもの、情報が集まる場所でした。そういう場所だからこそ成立し得た文化だったわけです。

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