Sunday, August 15, 2010

西部邁

なるほど、民衆政治は多数決制という数の制度である。しかし、これから正が出るか邪が出るかは、民意なるものが優等か劣等かによる。たとえば、議会での議論が必要なのは、民意によって選ばれた多数派の政権も、fallibility を免れえないからだ。またたとえば、ほとんどすべての独裁が民意によって、換言すると民衆政治を民衆自身が否定することによって、生み出されもした。こういうものにすぎぬ民衆政治を民主主義の理念にまで昇格させたのは、近代の理念における錯誤だらけの模型であり流行である。
Democratism は民衆という多数者に主権ありとする。主権とは崇高、絶対、無制限の権利のことである。ただし、民衆が国民であるならば、国家の歴史に秘められている英知のことをさして、主権という修辞を与えることも許されよう。しかし国家のことを歯牙にもかけない単なる人民の民意に主権を見いだすのは、民衆政治の堕落にすぎない。これから誕生する保守の最初の仕事は、民主主義を国民政治への最大の敵と見定めることであろう。

No comments:

Post a Comment