Saturday, August 11, 2012

ロナルド・ドーア

今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
◎ 今後の米中の相対的経済成長率
◎ 政治的課税力――国庫収入の成長率
◎ 国威発揚の意志の強さ――軍事予算拡大の用意
◎ 人的資源(日中ではIQ分布は似たようなものだから、優れたミサイル技術者になりうる頭脳を持つ日本人が一人いれば、中国には10人いる計算)
西太平洋における覇権の交替はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
① アメリカにゴルバチョフはいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済がゆだねられるか。
②その頃になると、徐々に東洋のモデルになるだろう中国の経済は、米国と同様な個人所有権がオールマイテイの組織になるのか。そして、アメリカのような成功した人とそうでない人の格差が大きい社会となるか、それとも儒教的な家父長主義な政策をとってより平等な社会になるのか。
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

7 comments:

  1. 金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱

    by ロナルド・ドーア

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  2. あとがき

    「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が七〇〇〇万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。

     将来、金融か経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく七〇〇〇万人を殺さないで、歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」であるし、「大きな戦争がなければ、大きな社会変化も来ない」である。
    
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロサクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
    
 詳しく論じる余地はなかったが、三、四〇年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。二〇一〇年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な避難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手をあげたからだ。

     今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。

    ◎ 今後の米中の相対的経済成長率
    
◎ 政治的課税力――国庫収入の成長率
    
◎ 国威発揚の意志の強さ――軍事予算拡大の用意

    ◎ 人的資源(日中ではIQ分布は似たようなものだから、優れたミサイル技術者になりうる頭脳を持つ日本人が一人いれば、中国には10人いる計算)

     西太平洋における覇権の交替はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
    
① アメリカにゴルバチョフはいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済がゆだねられるか。

    ②その頃になると、徐々に東洋のモデルになるだろう中国の経済は、米国と同様な個人所有権がオールマイテイの組織になるのか。そして、アメリカのような成功した人とそうでない人の格差が大きい社会となるか、それとも儒教的な家父長主義な政策をとってより平等な社会になるのか。
    
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

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  3. 書評 ロナルド・ドーア著『金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱』(中公新書)
    半澤健市

    http://lib21.blog96.fc2.com/?mode=m&no=1803

      ロナルド・ドーア(1925年~)を私は社会学者と思っていた。
    著者経歴欄を見ると、氏はロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒業。戦時中日本語を学び1950年江戸教育研究のため東大に留学。カナダ、イギリス、アメリカの大学の社会学部や政治学部教授、ロンドン大学LSEフェローを歴任と書いてある。実際、私に馴染み深い氏の著作は『学歴社会 新しい文明病』(岩波書店、1978年)や『イギリスの工場・日本の工場』(筑摩書房、1987年)であった。
    しかし「モノ作り文化」と「カネ作り文化」の比較から出発した氏の関心は、冷戦終結と日本のバブル崩壊を契機に、「大風呂敷」になり「日独資本主義と英米資本主義の相違」の研究へと進んだ。本書『金融が乗っ取る世界経済―21世紀の憂鬱』は、その研究成果である。

    多忙な読者のために結論を先にいう。過去30年の歴史は「アングロ・サクソン型」経済の勝利の歴史である。その核心は「経済の金融化」である。それは問題の多い変化であった。これが本書の結論である。本書は「経済の金融化」は如何に展開したか。「経済の金融化」が人々に何をもたらしたのか。「経済の金融化」の課題をどう考えるべきか。この三つの部分から成っている。

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  4. 《「経済の金融化」はいかに展開したか》
     「経済の金融化」とは何か。それは米国において金融業の利益が企業利益の王座を占めたことである。1946年から50年の間に9.5%だった金融業の利益の構成比は、2002年に41%に達した。米国経済は金融業が切り回しているのである。カネを通してカネを儲ける。これがカネ儲けの常識になったのである。それが世界に伝播したのである。しかし、そんな事態がなぜ生まれたのか。これが「如何に展開したか」の部分である。

    第一の理由は金融・資本市場規模の拡大である。
     事態の原因は、金融派生商品(デリバティブズ)の発明と開発である。さらには巨大な外国為替市場の出現である。のちにノーベル賞受賞の米経済学者ポール・クルーグマンによって「無駄と詐欺」と侮蔑された金融派生商品は、金融工学の秀才が製造した「まがい物」であった。ウォール街は世界のカネを呼び込んでその「上前をハネた」のである。悪名高い「サブプライムローン」は金融派生商品の一例である。為替市場は変動相場制移行を機に貿易に伴う外貨への実需と乖離した投機市場へ変貌した。

    もともと金融の役割は、返済を前提とした「融資」であり、資産を運用して得る「利回り」であり、起こりうる損失を補填する「保険」の三つであった。「経済の金融化」は、金融という名の下に「膨大なギャンブルの上部構造」を構築し、実体経済の負担において、「手数料、取引コスト、資産管理コスト、ヘッジコスト」を合法的に収奪するシステムとなった。かくして金融業の巨大利益は生まれたのである。

    第二の理由は「投資家資本主義」への変化である。
     1930年代から60年代における米国資本主義の論点は「資本と経営の分離」、「新しい社会」、「拮抗力理論」である。当時の経営学を知る読者は、バーリーとミーンズ、ドラッカー、ガルブレイスらの名前を想起されるであろう。70年代以降、株式保有構造に機関化現象が起こり企業統治に関する「支配的な思想の変化」が発生した。著者は後者の影響を強調している。

    その変化は会社経営の目的を株主利益第一にしたことである。他の企業関係者―債権者、従業員、顧客、地域社会、国家などの「ステーク・ホールダー」―へのバランスのとれた配慮は二の次になった。時価総額の増大、すなわち株価上昇だけが経営目的になった。経営者のモーチベイションが、ストックオプションを含む報酬額、短期的な利益を出さないとクビにされる懸念に左右されるようになった。経営者は投資家に雇われた召使いとなった。「経営者の時代」から「資本家(株主)の時代」への逆転が起こったのである。

    第三の理由は「証券文化」の勃興である。
     著者は2007年にロンドン証券取引所理事長が行った就任演説を引用している。
    ▼ブラウン首相が、先月の演説で、わが国を「住宅持ち、株式持ち、資産持ちの民主国家」と規定したことに対して驚きを感ずる人は、なかったはずだ。それは実に彼が指導する労働党の中核的支持層に対するメッセージだった。株式市場が健全であるということは国民の一人一人にとって共通の利益である。正にこれこそが真実なのである。伝統的な現場労働者であろうが、公共部門の従業員であろうが、中間管理職であろうが、取締役や高級官僚であろうが、国民全員にとって、我々の株持ち民主主義というのは、国民統合の一つの重要な特徴なのである。

    日本中がNTTの株式公開に熱狂したのを私はよく覚えているが、著者は日本について次の三点を挙げる。
    一つは年金基金の運用における政府の規制緩和と投資顧問会社の参入
    二つは確定給付型年金から確定拠出型年金への移行
    三つはベンチャー企業奨励のための税制措置

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  5. 《「経済の金融化」は人々に何をもたらしたか》

     金融危機の原因究明と対策に関する言説は多いが「経済の金融化」に関する長期的な視点が欠落していると著者は指摘する。その視点で見ると「経済の金融化」は次のように社会を変えた。

    一つは、格差の拡大である。
    
二つは、不確実性・不安の拡大である。
    
三つは、知的資源の不均等な分配である。

    四つは、信用と人間関係への歪みの発生である。
    
項目別に理由を掲げる紙数がないが、見て分かる通り「経済の金融化」に対して著者は極めて批判的である。

    

「経済の金融化」は普遍性または必然性をもつのか。
    
 この面白い論点を提示して次のように論じている。
    
▼四、五年前、まだコーポレート・ガバナンスが活発に論じられ、『会社は誰のものか』などの題の本が氾濫していた時、私(ドーア)は『誰のための会社にするか』という新書(2006年、岩波書店)を書いた。
会社における権力の分配、会社が作る付加価値の分配を規制する法体制および組織・習慣は「自然」の範疇ではなく、あくまで「作為」の範疇に属することを強調したかったのである。金融化もそうである。金融化の傾向を堰き止めようとするなら、あるいは逆戻りさせようとするなら、今の「グローバル化」時代でも、会社法、年金法、銀行法、金融商品取引法などの改正によって、制度を変えることは可能なのである。


    
日本をよく知る著者は「論壇」の消滅に言及する。丸山真男、加藤周一、鶴見俊輔らの「岩波文化人」対「保守派」の福田恆存や江藤淳を懐かしく思い出すという。そして今の日本には「憂国の士」は多いが、彼らのような「憂国民の士」、「憂社会の士」がいなくなったような気がするという。そして「熱心に参加したくなるような生産的な論争の雰囲気はどこへやら、蒸発してしまったようで、現状を悲しむしかない」と書いている。

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  6. 《「経済の金融化」の課題をどう考えるべきか》
    
 この部分は金融改革に関する専門的な資料紹介とそれに対する論考から成り立っている。危機意識や論点が市況によって容易に変化すること、ウォール街主導の米金融資本が強いこと、金融問題解決に決定権をもつグローバルな組織が存在しないこと、などが問題解決への障害になっいるという。
    

本書を読んで私が強い印象を受けた三つの部分を掲げる。いずれも現代人の心に突き刺さる指摘だと思う。
    
▼成長率の最大化も、成長率リーグで高い地位を獲得することも、経済政策の唯一の目標であるはずがない。「日本型資本主義」が八〇年代に称賛されたのは、ビジネス・スクールならば、経済効率の点が買われただけだったかも知れない。しかし、日本でも外国でも、私も含めて多くの社会科学者が美点としたのは、所得分布がわりに平等であったこと、失業が少ないこと、経営者に私益の他に公益も考える習慣があったこと、教育・医療制度がよく整備されていたこと、商的取引に、自己の利益と関係のない相手に対する「思いやり」が入ること、官僚が優秀で、腐敗が少ないことなどであった。
/それらがバブル崩壊とともに、重要視されない特質となってしまった。二〇年間のアングロ・サクソン化改革の結果、格差が拡大し、相対的貧困率はOECD加盟国中二番目、ひびが入った社会となった。そもそも、日本ばかりでなく、他の先進国も、「国際経済における競争力強化」を経済政策の第一目標としたことが間違っていた。「よき社会の確保」という目標の方が、より重要なのである。(66頁)



    ▼新自由主義思想が支配する民主国家では、人類の諸「権利」の中の優劣順位が変わってきた。すなわち、生存権、発言の自由、組織の自由、裁判での市民権、労働契約から生ずる権利、為政者を選ぶ投票権など、つまり他の社会関係から生ずる諸権利よりも、「所有権」がますます優勢になっている。コーポレート・ガバナンスはますます株主主権的色彩を帯びている。(212頁)



    ▼西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
    
①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決裁が委ねられるだろうか。
    
②その頃になると、徐々に東洋のモデルとなるだろう中国の経済は、米国と同様な個人所有権がオールマイティの組織になるのか。そして、アメリカのような、成功した人とそうでない人の格差が大きい社会となるか。それとも儒教的な家父長主義的な政策をとって平等な社会になるのか。
    
③六〇年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。
    (あとがき)

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  7. 《知日派リベラルによる新自由主義への抵抗》 
    
 私は本書をリベラル派からの「反新自由主義論」として読んだ。デリバティブズは、脆弱な「信用の梃子」の巨大な鎖であった。完全な資源配分がもたらされる筈の「市場」はバーチャルな幻想であった。86歳の知日派は、バランス感覚と柔らかいユーモアを交えながら「市場原理主義」と「民主主義の危機」に果敢に抵抗している。

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