Sunday, October 21, 2012

佐伯啓思

資源と市場をめぐる国家間競争という20世紀初頭の状況が、将来の資源確保という事情を軸にして、現在へ回帰している。過度なグローバル競争が、世界をふたたび20世紀初頭の帝国主義へと回帰させている。尖閣をめぐる中国、竹島をめぐる韓国、そして北方領土をめぐるロシアとの間の潜在的な国境紛争は、このような帝国主義への回帰という現状のなかで理解しなければならない。そして、それが20世紀初頭の情景へとわれわれをいざない、歴史問題が持ち出されてくるのである。
もはや世界から戦争はなくなり平和な時代になった、という前提で書かれた戦後憲法の前文はもはや意味をなさないことになるであろう。平和憲法に象徴される日本の「戦後」というものが、いかに特異な時代であったかをわれわれは改めて理解しなければならないのだ。

2 comments:

  1. 「尖閣・竹島」が示すもの

    by 京都大学教授・佐伯啓思

    http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121022/plc12102203060003-n1.htm

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  2. 尖閣・竹島問題をめぐるわが国と中国・韓国との間の緊張は、この8月、9月の危機的な状況を脱したかにみえている。一時は、連日、新聞紙上におどっていた尖閣・竹島の文字もめっきり減った。もっとも、先週、また中国海軍の艦船が尖閣近くの先島沖の接続水域を航行などと報ぜられているが。

    もちろんのこと、9月以降、事態が沈静化したわけでもなく、また状況が変化したわけでもない。海上保安庁の巡視船はずっとこの領域を航行し続けている。事態はこれからも続く。日本、中国、韓国、いずれも言い分を変えるとは考えられないから、この問題には解決のめどはたたない。いわば潜在的な紛争状態が続くことになる。ただ、それが顕在化すると文字通り危機は爆発しかねない。その危険があまりに高すぎるために双方とも事態を先送りしようとしているのである。

    尖閣・竹島問題は、われわれ日本人にとっては明白に日本の領土であり、それは、いかに国際法というものが曖昧なものだとしても、法的な常識からして正当性は揺るがないと考えている。にもかかわらずどうして中国・韓国が、両島を彼らの領土と主張して譲らないのか。2つの事情がある。ひとつの事情は、将来からやってき、もうひとつは過去からやってくる。

    将来の事情とは、ここに原油などの自然資源および漁業資源が存在するからであり、いずれ、資源確保は国家の重要な生命線になると思われているからだ。とりわけ尖閣の場合には、1968年にこの地域における石油資源の埋蔵が指摘されるようになってから、中国・台湾ともに領有権を主張しはじめた。

    ところが、ここにもうひとつやっかいな問題があって、それは過去からやってくる。中国・韓国とも、この問題を歴史問題と結び付けているからである。韓国の場合には、1905年の日本による竹島の領土化は、1910年の日韓併合へつながるものだ、という。日本の朝鮮半島の植民地化は竹島から始まったという。中国もそれと呼応するかのように、1895年の日本による尖閣の領土化は日清戦争と切り離すことができない、という。つまり、これも、日本の中国進出への第一歩が尖閣から始まった、ということだ。

    いかにも「さかのぼり戦争史」のようなもので、われわれからすれば、いいがかりもはなはだしい。にもかかわらず、中国・韓国ともに、日本のアジア大陸に対する侵略戦争という歴史観をもちだす。韓国の場合には、竹島を日本の朝鮮半島植民地化の象徴とする教育が徹底されているようで、言いかえれば、竹島(独島)を死守することが、韓国独立の象徴だという。

    繰り返すが、日本からすれば、両者ともそれこそ歴史の歪曲(わいきょく)であり、認めるわけにはいかない。しかしいまここで考えておかなければならないことは、この2つの事情を重ねあわせるとどうなるか、ということだ。

    ここで、将来の資源をめぐる国境紛争と、過去の歴史認識が重なり合ってくる。言いかえれば、20世紀初頭のあの状況が将来の展望のなかで現在に重ね合わせられる、ということである。

                       ◇

    20世紀の初頭のあの状況、それは資源と市場の獲得をめぐる帝国主義であった。西洋列強がアジアを植民地化し、おくれて列強へ参入してきた日本が、これに負けじとアジアへの足がかりを求めた。そこに横たわるのは、資源と市場の確保であった。その結果として生じた日中戦争や日米戦争は、戦後、アジアの支配を意図する日本の侵略戦争である、と見なされた。この歴史観を明白に表現したのはアメリカである。

    さて、そうするとどうなるか。まず、資源と市場をめぐる国家間競争という20世紀初頭の状況が、将来の資源確保という事情を軸にして、現在へ回帰している、といわねばならない。今日の過度なグローバル競争が、世界をふたたび20世紀初頭の帝国主義へと回帰させている、といってもよいだろう。尖閣をめぐる中国、竹島をめぐる韓国、そして北方領土をめぐるロシアとの間の潜在的な国境紛争は、このような帝国主義への回帰という現状のなかで理解しなければならない。そして、それがほとんど連想のように20世紀初頭の情景へとわれわれをいざない、歴史問題が持ち出されてくるのである。

    中国・韓国は、かつて、尖閣や竹島を日本がぶんどったという。大陸進出という日本の帝国主義の第一歩だったという。この中韓の言い分を、今日、裏返して、日本から見れば、尖閣をうかがい、竹島を実効支配する中国・韓国は、このグローバル化の時代の帝国主義の第一歩だ、ということになろう。歴史問題は、この状況のなかで、中国・韓国に対する日本の批判をあらかじめ封じ込めるためにもちだされているといいたくもなるのだ。

    さて今日の世界が、徐々にではあるが20世紀初頭の資源や市場をめぐる国家間の軋轢の時代へと回帰しているとすればどうか。もちろん、私は、かの時代のように一気に大戦争が生じるなどといっているのではない。歴史がまったく同じことを繰り返すわけもない。しかし、局地戦は生じえる状況ではある。とすれば、もはや世界から戦争はなくなり平和な時代になった、という前提で書かれた戦後憲法の前文はもはや意味をなさないことになるであろう。平和憲法に象徴される日本の「戦後」というものが、いかに特異な時代であったかをわれわれは改めて理解しなければならないのだ。

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