Sunday, October 28, 2012

井上靖


人間は常に正しく生きるということを意図しなければならぬ。天が応援してくれるか、妨害するか、そうしたことは一切判らないが、ともかく、人間はこの地上に於て、正しく生きることを意図し、それに向って努力しなければならないのである。そうした人間を、必ずや天は嘉してくれるに違いない。 "嘉す" とは、天が "よし" として下さることである。
天が嘉してくれるというのであれば、人間としては、それでいいではないか。それ以上のこととなると、天にしても、手が廻りかねるというものである。天の下、地の上、そこでは四時行われ、万物生じている。四季の運行は滞りなく行われ、万物はみな、次々に生れ、育っている。
天の受持たなければならぬ仕事はたいへんである。それ以上のこととなると。天にしても手が廻りかねる。人間が天に対して、何を望み、何を期待しても、無理というものである。

5 comments:

  1. 彼等は他国の多くの農民たちを、少しでも、その苦労から救ってやるために、夏の間、それぞれ身を挺して働きました。そして、その夏が終わろうとする日に、収容所に出掛けて行き、そこの閉鎖のために、終日働いて、一切の後片付けを完了、更に来年の再開に対する準備も調え、そして夕刻、それぞれが己が家に引き揚げるべく、収容所の建物を出ました。併し、そこを出るや否や、彼等がこの夏、忙しく立ち働いた広場に於て、落雷の見舞うところとなったのであります。

    天命というものでありましょうか。

    もう一度、繰り返させて頂きましょう。彼等は夏の間、見知らぬ他国の難民のために、手分けして、交替で働き、そして夏も終わって、難民の姿も見られなくなった頃、その収容所を閉鎖するために出掛けて行き、そして後片付けを完了。夕刻、帰宅すべく、そこを出るや否や、落雷の襲うところとなったのであります。

    彼等は多くの他国の難民を、少しでも労ってやるべく夏中働き、そしてその夏が終ろうとする日に、天から死を賜ったのであります。上天には抗議する暇も、訴える暇もありません。烈しい雷光に貫かれ、一人は仰向けに、二人は俯伏して斃れておりました。

    そうした中で、同じ一団の仲間である私と女性三人は、少し先きに帰路に就いた、ただそれだけのことのため、一命を取り留めることができたのであります。

    斃れた人たちの "死" も天命なら、私たちの "生" もまた、天命というものでありましょうか。一体、天命とはいかなるものでありましょう。

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  2. われわれ人間が為すことは、それがいかに正しいことであれ、立派なことであれ、事の成否ということになると、すべてを天の裁きに任せなければならない。一つの仕事の遂行に当って、天からいかなる激励と援助とを受けるかも知れないし、いかなる支障と妨害によって、行手を阻止されるかも判らない。こうしたことは大きい天の取り計らいであって、小さい人間の理解し得るところではない。

    併し、そうした中にあればこそ、人間は常に正しく生きるということを意図しなければならぬ。天が応援してくれるか、妨害するか、そうしたことは一切判らないが、ともかく、人間はこの地上に於て、正しく生きることを意図し、それに向って努力しなければならないのである。そうした人間を、必ずや天は嘉してくれるに違いない。 "嘉す" とは、天が "よし" として下さることである。

    天が嘉してくれるというのであれば、人間としては、それでいいではないか。それ以上のこととなると、天にしても、手が廻りかねるというものである。天の下、地の上、そこでは四時行われ、万物生じている。四季の運行は滞りなく行われ、万物はみな、次々に生れ、育っている。

    天の受持たなければならぬ仕事はたいへんである。それ以上のこととなると。天にしても手が廻りかねる。人間が天に対して、何を望み、何を期待しても、無理というものである。

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  3. 子のお怒りも、悦びも、そしてまた、天に向かって、きっとお顔をお上げになった強い子の天への御挑みも、それからまた、誰にもお見せにならぬ悲しみも、みな、子のこのお詞の中に入っている筈であります。

    このように、子の、
    ──五十にして天命を知る。
    は、子が御自分のすべてを投げ込んだ、大きいお詞であります。

    私は子のたくさんのお詞の中で、一つを選ぶように言われた場合は、この "五十にして天命を知る" を採らせて頂くことでありましょう。凛々と、何かが鳴っております。いつ口遊んでも、凛々と鳴っているものがあります。

    "天命を知る" ──これはこれで、容易なことではなく、凡人のよくするところではありませんが、人間として生れ、正しく生きようとする以上、自分の仕事としては、天からの使命感を帯びているようなものを選ばねばならぬでしょうし、また選びたいものであります。

    併し、そうしたことと同時に、天からの使命感を帯びているような仕事を選んだとしても、天からはいささかの支援もないかも知れません。──これはこれで、はっきりと肝に銘じて承知しておかねばならぬことでありましょう。

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  4. 七年前のことです。その中年夫婦に初めての子供が、女児が生まれました。その子供が生まれて一カ年経ってから、つまり最初の誕生日が過ぎてからは、母親はその嬰児を連れて、毎日一回は、必ず私のところを訪ねてくれました。

    家の掃除、食事の支度、何もかも手伝ってくれます。そうした仕事のほかに、母親は幼い女児を私に見せるのが、彼女がひそかに持っている毎日の楽しみのようでありました。

    母親が自慢するだけあって、なんとも言えず可愛らしい女児で、私はいつもその幼い生きものを、自分の両手に収めてみたいと思いましたが、彼女は母親の両手の中に入ったままで、どうしても、私の方へは身を乗り出してくれませんでした。

    併し、生れて満二年が過ぎようとする二度目の誕生日に、その幼い客人は、私の家に来て、私の顔を見ると、どういうものか、花でも開くように明るく笑い、母親の腕から抜け出すようにして、私の方へ両手を差し出して来ました。

    私は初めて幼い彼女を抱くと、すぐ母親の許へ返しました。この時、私は初めて幼い者を、この世にほかに較べるもののないほど、美しいものと思い、優しいものと思いました。

    私は家の背戸に出て、野草の花を摘んでくると、それを小さい壷に入れ、幼い女児に持たせました。幼い者の誕生日への贈りものであります。乱世を六十数年に亘って生きて来た私の、初めて経験する心優しい日でありました。

    ここから先きをお話するのが辛くなります。私の家から自分の家に帰ると、その夜、幼い彼女は発熱し、何日か病み、熱が下がった時は、全く別の幼児になっていました。足も動かず、手も動かず、眼の焦点も決まっておりません。いかなる天罰が、この稚い、無垢な、そして初めて他人に好意を示した嬰児に降ったのでありましょうか。

    そして一ヶ月程、そのまま横たわっていたあと、幼い者は亡くなりました。併し、何事もなかったように、この山奥の村には朝が来、夕が来、夜が来ています。亡くなった幼女の父親も、母親も生きております。老いた私も亦、何変わりなく生きております。

    併し、この天の下には何かがあったのです。美しい稚いものは、花のように開き、笑い、身を乗り出し、──そして、それはそうしたことのために罰せられたのでありましょうか、病み、亡くなりました。

    それから、いつか五年ほどの月日がめくられました。

    ──命なるかな。

    私は、年に何回か、深夜、天に向って面を上げ、また下げ、命なるかな、そうした思いを抱いて、炉辺に坐っていることがあります。

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  5. さて、天罰が降ったのは嬰児ばかりではありません。嬰児の死に依って、母親は人間が変わったように無口になり、笑わなくなり、私の家に来ても、窓際に立って、遠い所に眼を当て、ひどくぼんやりしていることが多くなりました。亡くなった嬰児のことを想っているのであろうかと思いました。

    天は誰を罰したのでありましょう。幼い女児でしょうか。或いはその母親、それとも私でしょうか。

    それから、いつか、五年という歳月が経っております。その間に何回か、私も亦、亡き嬰児のことが思い出されて来て、深夜、この同じ席に坐って、
    ──命なるかな。
    と、天を仰ぐ思いの中に、我とわが身を投げ入れていることもあります。ひどく淋しい深夜の時間であります。

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