Saturday, October 27, 2012

田中慎弥

この数カ月ほどの間、公的及び私的な事情のために極めて忙しい日々が続き、私はとうとう、人間としてほとんど壊れてしまった。いや、壊れきったと思った時点でまだほんの少しだけ残っていた人間的な部分でさえも、また破壊することになり、そうやって、今も壊れ続けている。食べることで人間性をわずかばかり取り戻し、それをまた仕事によって壊し、また食べて飲み、また壊し……要するに、自分を壊すため、壊すに足る自分を作るために食べているのだ。生きるために食べるという本来のあり方とは隔たってしまっている。どこかで元に戻さなければと思いながら、転がり落ちてゆく自分を止められない。人間でなくなってゆく過程を、まだ人間である自分が見つめていて、その人間である自分もやがて化物になってゆく。食べるのだとしたら、自分で自分の命を食べている。それがはっきりと分かる。

4 comments:

  1. 食べること 小説同様 切実で滑稽で野蛮

    by 田中慎弥

    朝日新聞

    http://www.asahi.com/news/intro/TKY201206270196.html

    食べたり飲んだりというのは本来、生きるための行為だ。その行為自体が生きている証拠とも言える。快楽という以前に、必要なこと。逆に言えば、様々な理由で、食べられない、という状態になれば、それだけ生から死へと近づいてゆくことにもなる。

    この数カ月ほどの間、公的及び私的な事情のために極めて忙しい日々が続き、私はとうとう、人間としてほとんど壊れてしまった。いや、壊れきったと思った時点でまだほんの少しだけ残っていた人間的な部分でさえも、また破壊することになり、そうやって、今も壊れ続けている。食べることで人間性をわずかばかり取り戻し、それをまた仕事によって壊し、また食べて飲み、また壊し……要するに、自分を壊すため、壊すに足る自分を作るために食べているのだ。生きるために食べるという本来のあり方とは隔たってしまっている。どこかで元に戻さなければと思いながら、転がり落ちてゆく自分を止められない。人間でなくなってゆく過程を、まだ人間である自分が見つめていて、その人間である自分もやがて化物になってゆく。食べるのだとしたら、自分で自分の命を食べている。それがはっきりと分かる。

    断っておくが、仕事は毎日している。作品の評価は決して芳しいものではなく、もっと水準を高めなければならないという、私にとって解決不可能な問題に手を焼きながらも、書き続けている。仕事に穴は開けられない。生きるため。食べるため。そう思いたい。だがどう考えても、今の自分は死ぬためだけに、坂を転がり落ちながら書き続けている。猛烈な速度の回転の最中に、食べも飲みもしている。

    しかし、酒を飲んだあとで書くということはまずない。このあたりはいやにきっちりしているのだが、酔うと、特に自分を吐露するに近いエッセイの場合、書いてはならないことを書いてしまいそうで怖いのだ。この文章も午前の覚めた意識で書いている。ただし、転がり落ちる速度の中で。もう緩めることは出来ない。体に気をつけて下さい、無理しないで下さい、と言われると、バカにされた気分になる。

    いつか必ず、死が自分を止めてくれる。今日かもしれない。十年後かもしれない。最も恐ろしいその瞬間を、遠ざけながら引き寄せもし、また突き放すというくり返し。食べたり飲んだりと同様、小説を書いて生きてゆくことも、切実で滑稽で野蛮。いい作家は肉が好きなのだそうだ。血は滴れ。肉は食われろ。作家は書け。

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  2. 「石原知事に逆襲」芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18)

    http://www.youtube.com/watch?v=E6cSNDAqJvA

    確かシャーリー・マクレーンだったと思いますが、アカデミー賞、何度も候補になって、最後にもらったときに、私がもらって当然だと思うって、言ったそうですが、ま、だいたいそういう感じ。
    4回も落っことされたあとですから、ここらで断ってやるのが、礼儀と言えば礼儀ですが、私は礼儀を知らないので、もし断ったって聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら、都政が混乱しますんで、都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる、です。
    あの、とっとと終わりましょう。

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  3. 石原都知事 芥川賞の選考委員辞任の意向(12/01/18)

    http://www.youtube.com/watch?v=HWFOe1Y7OE0&feature=relmfu

    石原慎太郎と田中慎弥は同じ側の人間なのに、誰もそのことに気付かない。
    ~sk

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  4. 生き延びる道

    by 田中慎弥

    秋葉原の無差別殺傷事件から一年が経つ。日曜日の歩行者天国を襲ったことや、犯行直前まで続けられていた加藤智大被告本人による書き込み、 事件が浮かび上がらせてしまった派遣労働の問題、若い世代の生きづらさ、などが議論された。それらは、事件とは直接関係ない人々によってなされた。

    私が当時の事件報道に接して強い印象を受けたのは、取り押さえられた時の加藤被告の横顔が私自身にそっくりだったということだ。

    事件とは直接関係ない人間として、これはかなりの驚きだった。事件と自分が、関係ないまま結びついた。

    本人の書き込みによれば、友人も彼女もいない、という孤独を抱えていたらしい。
    派遣先で親しい人はいたようだし、一時期は彼女もいた、という話もあるが、事件を起こす頃にはかなり追いつめられていたのだろう。

    情けないことだが私は恋愛を経験したことがない。その原因が自分の容姿と性格にある、と思っているとすると、私と加藤被告の相似は横顔だけではないことになる。
    彼は自らの内部に溜め込んだ力を外に向かって爆発させてしまった。25歳でだ。私はいま36歳だ。30代のうちはまだいい。自分を情けないやつだと思いながら生きてゆける。

    だが4年後、40歳になる時点で、果たしてどうなっているだろうか。私は力を外に向かって爆発させはしないだろう。それは私がばかではないからだ。

    となると私は私自身の前でたじろがなくてはならない。外に向けない力を、自分に向けてしまうかもしれないからだ。

    加藤被告は働いていた。働く意思があった。私は高校卒業後10年以上、働く気もなくぶらぶらしていた。人間としてどちらが真面目か。

    私が生き延びる道はそこにしかなさそうだ。不真面目であること。ただしこれは私の話。誰にでも当てはまるわけではない。

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