Thursday, January 31, 2013

辻邦生

パリに住んでいた当時、私がもっとも多く訪れたのはギリシア彫刻とこのボティチェルリの壁画の部屋だったように思う。その頃、ギリシア旅行ではじめてパルテノン神殿の美しさに接したが、美が日常世界から永遠の甘美さに人を運ぶものであることを、私はその瞬間、深い歓喜の思いのなかで理解した。かつて私はそれを現世からの逃避と感じたが、ギリシア神殿を見て以来、その考えは根本から覆された。美こそが、日常の歪曲した生から人間本来の生へと高めてくれるものであり、現実生活もかかる美に包まれてはじめて人間的な秩序を取り戻すものだ、と思われたのだった。美は私にとって現実の根底となったと言ってよかった。

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  1. 北の森から

    辻邦生第二エッセー集

    1971-1972 (1974年)

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