Tuesday, January 29, 2013

東郷克美

井伏氏によれば人の歩き方には地方色があり、自分の歩き方が「せかせかしてゐる」のは、坂道の多い田舎に育ったせいだというのである。お元気なころの氏の歩き方は、見方によってはたしかに「せかせか」していたともいえようが、その文体はまったく正反対であった。にもかかわらず、文体がその人の身体的機構と結びついていることも事実であって、「文体は人間の歩きかたのやうなものではないだらうか」という仮説は正鵠を射ているのである。さらに氏は文章において感傷や詠嘆を回避しようとする自らの性向にふれて、「私の文体にも、田舎の言葉づかひや気風が大きに影響してゐるだらう」とのべ、その作品が表現のスタイルの上でも故郷の風土に根ざしていることを自認している。これはその文体の骨格を形成しているのが、身体と同様にほとんど生得的なものであるということだ。

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