Thursday, May 3, 2012

中島義道

「前後左右の人の顔色を見て、自分の意見を潰していきましょう」と教えるならわかります。現実にそうしているんだから。でも「個性を伸ばし、自己責任で生きましょう」。。。そんな自分もやっていないことを子どもに向けて言うのだから、言葉の力を信じない社会になって当然でしょう。
日本社会は安全さを尊び、危険な人を嫌う。
日本では対立をしないよう教育するから、対立したときどうしていいかわからなくなる。義理でも人情でも対立したら終わりで、後は死ぬしかない。
言い訳しないで切腹する美学が求められる。
やはり日本人が何に対して醜さを感じるかというと、だいたいが自己主張です。
傷つけない態度や目つきばかり尊重されていますが、人は他人を傷つけるものです。言葉によって人を傷つける。また、それを言葉で理解する機会がない。だから他人といかに感受性が違うことを知ることもない。
外国人とのつきあいだって、どうやって仲良くするかだけに気を配っている。。。向こうに合わせるから対立の機会をなくすんです。
私は別に日本の行く末なんかどうでもいい。
人は善悪と関係なく死ぬ。そういうことを道徳教育として教えない。まして、生きることは価値がない可能性について教えない。価値あることが大前提でしょう。
努力してもだめなことはある。それを切実に語ることがない。。。人を愛することの大切さをよく耳にしますが、愛したのなら反面嫌いな人もうまれる。

1 comment:

  1. 私が頭に来るのは、先生が嘘を言うことです。「前後左右の人の顔色を見て、自分の意見を潰していきましょう」と教えるならわかります。現実にそうしているんだから。でも「個性を伸ばし、自己責任で生きましょう」。。。そんな自分もやっていないことを子どもに向けて言うのだから、言葉の力を信じない社会になって当然でしょう。

    日本社会は安全さを尊び、危険な人を嫌う。。。ヨーロッパでは言葉で深刻な対立をつくり、それを融和することなく、どうやって打開するか。力ではなく言葉や理性で打開しようとします。

    日本では対立をしないよう教育するから、対立したときどうしていいかわからなくなる。義理でも人情でも対立したら終わりで、後は死ぬしかない。

    言い訳しないで切腹する美学が求められる。。。言い訳したら、醜いと言われました。。。自分を責める他人を責めて、その中で打開していけばいい。

    やはり日本人が何に対して醜さを感じるかというと、だいたいが自己主張です。。。行動ではなく、美学に反する態度自体に苛立ちを覚えているわけでしょう。

    傷つけない態度や目つきばかり尊重されていますが、人は他人を傷つけるものです。言葉によって人を傷つける。また、それを言葉で理解する機会がない。だから他人といかに感受性が違うことを知ることもない。

    外国人とのつきあいだって、どうやって仲良くするかだけに気を配っている。別にイスラムの人に豚を出したっていい。相手が怒って、そこから対話が始まるんだから。向こうに合わせるから対立の機会をなくすんです。

    私は別に日本の行く末なんかどうでもいい。

    人は善悪と関係なく死ぬ。そういうことを道徳教育として教えない。まして、生きることは価値がない可能性について教えない。価値あることが大前提でしょう。

    努力してもだめなことはある。それを切実に語ることがない。生きていてもあまりいいことない、そう思い自殺するのも仕方ない。美を求めることからこそ人は差別する。そうした考えをやめることはできない。人を愛することの大切さをよく耳にしますが、愛したのなら反面嫌いな人もうまれる。真理を求めれば求めない人を軽蔑したくなる。。。真・善・美を求める道は悪ともつながっている。。。

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