Sunday, January 20, 2013

有末精三

仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校、陸軍士官学校で恩賜の銀時計。陸軍大学校で恩賜の軍刀。陸軍省軍務課長時代に阿部内閣の実質的成立者といわれた。
終戦時は参謀本部第二部長。8月15日に森赳近衛師団長から「オイ!!第二部長なんていうものは誰でも出来るよ、乃公(我が輩)でも勤まるよ。第一貴様は皇太子様に勝ちもしない戦を勝つ勝つとウソを申し上げたじゃないか」と詰問された。森はこの日の晩に、日本の降伏を阻止しようとする将校達によって斬殺され、有末は渉外委員会委員長となり、GHQと陸軍との連絡役として働くことになる。
7月に皇太子殿下に戦争は勝ちますなんて言いながら、それから2か月もしないうちに、マッカーサーの先遣隊に「マッカーサーのために芸者は何人用意いたしましょうか」なんて尋ねる人だから、終戦後もしぶとく生き延びたのは当然といえる。
有末は、マッカーサー先遣隊のテンチ大佐等が厚木に降り立つと、真っ先に一行へ駆け寄り(上の写真のように振る舞い)、取り入り作戦を開始。あろうことか、敗戦前から秘密裏に回収していた諜報関係資料をチャールズ・ウィロビー少将(諜報担当)に提出して歓心を買った。その後、東アジアおよび日本国内の共産主義者に対する諜報網を作ることをウィロビーに約束したが、この計画は嘘やでっち上げによる資金集めにすぎないとCIAに報告されている。またCIAの記録によると有末とその部下は在日中国共産党員に情報を売っていたことが明らかになっている。
昭和天皇は、役職を超えて政争に関与した有末を毛嫌いしており、阿部内閣の陸相人事に口を出したのは有末の影響力を排除するためだと語っていた。また戦後になり「有末はなぜ戦犯として逮捕されないのか」と周囲に尋ね、この話を聞いたGHQのモーガンは有末の戦犯指定を検討するが、ウィロビーの反対により実現しなかった。

2 comments:

  1. maroon_lanceの備忘録

    http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/touch/searchdiary?word=*%5B%C6%C9%BD%F1%5D&of=5

    [読書]マッカーサー

    増田弘『マッカーサー』より

    真っ先に一行へ駆け寄ってきたのは、対応役の連絡委員である陸軍参謀本部第二部長の有末精三中将であった。彼は予期せぬ到着のために、わざわざ長い滑走路を疾走せざるをえなかった。有末はアメリカでの生活を経験していたため、完全な英語を話した。しかもマッカーサー一行の到着のために詳細な調整を行うなど、優秀な人物であった。
    何度読んでもこれは地の文、つまり著者の書いたものだと思うのだけど、有末精三氏といえば、ヨーロッパ特にイタリアが長い人だけど、アメリカにいたことはあっただろうか?戦死した弟の次少将はイギリスに駐在していたはずだけど。しかし優秀というのは如才が無いという意味だろうか?それなら確かに彼ほど優秀な人はそうは居まい。7月に皇太子殿下(今上天皇)に戦争は勝ちますなんて言いながら*1、それから2ヶ月もしないうちに、マッカーサーの先遣隊に「芸者は何人いるか」なんて尋ねる人だから。

    ちなみに厚木で彼がテンチ大佐たちを迎えたときの面白い話がある。彼らが飛来したのは28日だから、29日の新聞のことだろう。各紙は下の写真を掲載した。本人に言わせれば小学生が敬礼をしているような写真である。

    (上の写真)

    ところが読売新聞だけは別の写真を載せた。それが下である。

    (別の写真)

    早速有末は読売以外の記者を出入り禁止にしたという。緒方竹虎の抗議などもあり、これは数時間だけのものであったそうだが、これを稚気愛すべしととるか、スモールアスホールととるかは、皆さん次第である。

    ところで最初の写真で右側に写っているのは、歌舞伎マニアで知られるバワーズ少佐である。何というか、敵対的な国に親しみをもつ人間を、それだけでまるで非国民のようにいう風潮が、わが国でも見られるが、テンチ大佐にしても、バワーズ少佐、マンソン大佐にしても、アメリカ側から見たら前記のような人間だろう。しかし彼らいなかったらどうなっていたか。GHQが上から下までケーディスのようなニューディーラーだったら、日本の伝統文化なんて粉微塵にされていたかも知れない。人も国も懐深くいきたいものである。

    *1:「オイ!!第二部長なんていうものは誰れでも出来るよ、乃公でも勤まるよ。第一貴様は皇太子様に勝ちもしない戦を勝つ勝つとウソを申し上げたじゃないか」(この詰問者は近衛師団長の森赳。彼はこの日の晩に斬殺された。)

    ReplyDelete
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/有末精三

    http://ja.wikipedia.org/wiki/宮城事件

    ReplyDelete