それにしても、よく考えれば北米原産のはずの植物に、パレスチナ地方の古都、聖地Jerusalemの名がくっついているのは、 いったいなぜなんだろうか? 英語の古いエンサイクロペディアには Jerusalem artichokeのふるった語源説まで出ていた。もともとヨーロッパにはなかった植物だが、移民が北米大陸へ渡り、 キクイモのうまさに目覚め、どうやら最初にイタリア語のネーミングが決まったらしい。 それも「ヒマワリ」をさすgirasoleを使って単純に名づけ、発音は「ジラソレ」といっていた。 かの有名なナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ」と、「太陽」の「ソレ」は重なり、頭の「ジラ」が「回る」ということだ。
ただし英国人や英国系のアメリカ人にはgirasoleの意味は通じず、キクイモのことを 「ジラソレ」と呼んでいるうちに、その「ジラ」がjeruにだんだんと近づき、 「ソレ」もじりじりとsalemに変身、いつの間にかこんな適当なランゲージ・ミラクルが起きたとさ。
それに比べれば、日本語名はいたって真面目だ。花の「菊」と根の「芋」をバランスよく組み合わせて、 まったく隙がないように見える。でも、青森の八百屋のおばさんが語れば、少々濁って「キグイモ」になり、じわっと親しみがわく。
「エルサレム」はもともとヘブライ語で、その意味が「平和の礎」らしい。たびたび皮肉をこめて紹介される語源説だ。 けれど、国家や宗教や人種の壁などおかまいなしに、世界の土と言葉を自由に巡ってきた Jerusalem artichokeは、平和を築くために必要な基本姿勢を示してくれているのじゃないか。キクイモの糠漬けをかじれば、かじるほどそう思えてくる。
忘れもしない2009年2月14日。別にバレンタインとは関係なく、 毎月のラジオの仕事で青森へ出かけ、青森駅に近い古川という地区をうろついていた。 いつも活気あふれる八百屋の「ヤオケン」に、ちょっと立ち寄ったら、店先についぞ見たことのない野菜が並んでいた。 なにか根っこというか球根というか、ゴルフボールよりひと回り大きいゴツゴツしたやつで、 皮は赤褐色で……なるほどみんな糠漬けになっているのか。おばさんに尋ねると、「キクイモだべな」と教わり、 「キクイモって?」と聞き返せば、にわか講義が始まった。
ReplyDeleteキクイモは茎が長く伸びて葉が生い茂り、秋になると小ぶりの黄色い花をいっぱい咲かせ、 それを見れば菊の仲間だと分かる。地下には丸いショウガにも似た塊茎が多く育ち、 それを漬け物にするとおいしい。栽培はできるけれど、店先にあるのはおそらく、自生しているキクイモを山から掘り起こしてきたものだろう。
試食して、その繊維たっぷりの愉快な歯ごたえと、ほのかにワイルドな香りに惚れ、 買って帰った。東京のわが家で輪切りにしてカリカリ食べて、また興味をそそられ、百科事典を引いてみると、 「北米原産で、日本には江戸時代末に渡来した」とあるではないか! さて、ぼくと同じこの北米出身者の英語名は? 百科辞典にラテン語の学名Helianthus tuberosusだけが載っていて、手もとの和英辞典には出ていなかったが、 植物図鑑ではJerusalem artichokeの英語も併記していた。
「アーティチョーク」といったらキク科の多年草で、欧米人はむかしから、 そのつぼみを茹でたりオイル漬けにしたりして食べる。うちの父親の好物だったので、 子どものころからぼくもしょっちゅう口にしていたが、「エルサレム・アーティチョーク」のほうは、 まるで記憶にない。そこで、母親から託されたアメリカ定番のクックブック『Joy of Cooking』を、久々に本棚から出し、 索引を見たらあった! フライパンで焼くgolden pan-fried Jerusalem artichokesと、 オーブンで焼くroasted Jerusalem artichokesと、ふたつのレシピを堂々と掲載。米国のれっきとした郷土料理なのに、 米国人のぼくは知らなかったのだ。青森の「ヤオケン」で出くわすまでは。
それにしても、よく考えれば北米原産のはずの植物に、パレスチナ地方の古都、聖地Jerusalemの名がくっついているのは、 いったいなぜなんだろうか? 英語の古いエンサイクロペディアには Jerusalem artichokeのふるった語源説まで出ていた。もともとヨーロッパにはなかった植物だが、移民が北米大陸へ渡り、 キクイモのうまさに目覚め、どうやら最初にイタリア語のネーミングが決まったらしい。 それも「ヒマワリ」をさすgirasoleを使って単純に名づけ、発音は「ジラソレ」といっていた。 かの有名なナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ」と、「太陽」の「ソレ」は重なり、頭の「ジラ」が「回る」ということだ。
ただし英国人や英国系のアメリカ人にはgirasoleの意味は通じず、キクイモのことを 「ジラソレ」と呼んでいるうちに、その「ジラ」がjeruにだんだんと近づき、 「ソレ」もじりじりとsalemに変身、いつの間にかこんな適当なランゲージ・ミラクルが起きたとさ。
それに比べれば、日本語名はいたって真面目だ。花の「菊」と根の「芋」をバランスよく組み合わせて、 まったく隙がないように見える。でも、青森の八百屋のおばさんが語れば、少々濁って「キグイモ」になり、じわっと親しみがわく。
「エルサレム」はもともとヘブライ語で、その意味が「平和の礎」らしい。たびたび皮肉をこめて紹介される語源説だ。 けれど、国家や宗教や人種の壁などおかまいなしに、世界の土と言葉を自由に巡ってきた Jerusalem artichokeは、平和を築くために必要な基本姿勢を示してくれているのじゃないか。キクイモの糠漬けをかじれば、かじるほどそう思えてくる。