わたしがユヒラさんを気に入っている理由の一つは、ユヒラさんがあまり匂わないことだ。一度何かの折にキスしたことがあって、今もそれは大した出来事ではないと思えるのは、唇も口も顔も体も、男の匂いがしなかったからだ。強いて言えば、ブロッコリーを茹でたときのような、濃い目のお湯の匂いがした。
「さてと」とユヒラさんが深い息をつく。あとは待つだけですな。
さてと、のあとに、そろそろ死にますか、なんて言われたらどうしようと思っていたので、とりあえずほっとした。
いつかずっと長く生きて、まだユヒラさんと付き合っていたなら、是非言ってあげたいと思っているひと言がある。男でいるのもイヤだ、女になるのもイヤだなんて、この世のすべてのものに変身するより難しいんだよって。それでも誰かと溶け合うのが理想ならば、自分が無くなってしまうほど、遠くまで行かなくてはならないんだよって。体力も気力もお金もないユヒラさんにそんなこと出来る?
『トモスイ』 高樹のぶ子 (新潮社)
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