禅とは禅那、意訳すると静慮、つまり静かに慮るという意味です。
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我々はつい「俺が」とか「他人が」とか、分別を加えて周りの人を見てしまいます。人間は表層心理で認識されてくる世界を「自分が」「他人が」と限定してくる、その心を自我執着心=末那識と呼んでおります。深層に働き、常に自分と認識せざるを得ないこの心の説明はとても難しい。しかしこの心の存在があるから、全ての表層的な行為が全て自分に跳ね返ってくるという事を覚えておいて下さい。
「自分の子供だから可愛い」といった、自分中心の愛は無心の愛でもなんでもないですね。
ですから自分の全てを人のために費やすように決心をされ、菩提心を発して、日々の生活の中で、蝋燭の火の様に、光と暖かさを擲っていこうではないかと、私は自分に言い聞かせ。。。
慮る:おもんぱかる
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