Sunday, February 19, 2012

川上和久

太平洋戦争の時の日本の大本営発表なんかがそうです。ナチスもメディアを統制して情報を巧みに操作した一番の例と言えます。またアメリカもパナマやグレナダに侵攻した時は、徹底的にメディアをコントロールしたことで、ある程度侵攻を正当化するイメージを作り出すことに成功しました。湾岸戦争にもこういった姿勢が継続されたのです。
政治権力と情報操作はほぼ一体のものといえるでしょう。
歴史的に見ても、たとえ現代のようなマスメディアはなくとも、情報は常に操作されていました。
例えば、古代ローマ帝国によって張り巡らされた道路網は、人や物の流通と同時に、情報を伝達するための生命線ともいえるものでした。その一方で統治システムそのものでもあったのです。ローマの統治に必要な情報は、公務連絡として直ちに各地に伝えられましたし、各地域の状況は迅速に収集され、反乱などの予兆があれば直ちに対処できるようにしていました。逆に属州が結集して反乱を起こしたりしないように、極力「ヨコ」の連絡網は設けないようにしていました。このように、この道路網はローマと各地を結ぶ「タテ」のシステムとして機能し、支配の固定化、さらにはその延長線上にある危機管理にも活用されたのです。これも広い意味での情報操作といえるでしょう。

1 comment:

  1. 『メディアの進化と権力』

    川上和久



    以前は情報を出す側としてマスコミが非常に大きな役割を果たしていましたから、何かちょっとした事を言ってしまうと、それが大きな社会影響を及ぼすことがありました。 オイルショックがいい例です。あの頃は、みんなが自分達の生活に不安に感じていた時でした。そんな時、偶然あるスーパーでトイレットペーパーが品切れになった事をマスメディアが取り上げ、これが発端となりパニックが起こってしまった。あれも、みんな情報に操作されてしまっているんです。少し前の米パニックも同様です。

    また、ネットワーク社会となった今では、昔はガセネタで片づけられていた情報がネットワークを張ることによって、むしろ独り歩きして大きな影響を持ってしまうということもあります。

    よくインターネットの情報で、「この企業は倒産するので要注意」とか「こういうことをするとコンピューターは壊れるから用心してください」というガセネタが流れることがあります。そうするとみんな不安になりますからアクセスする。それがものすごい数になってしまうわけです。だけどそういうネタの100%近くは嘘の情報です。

    そういう独り言、個人が井戸端会議で言っているようなことが、ネットワークが張られただけに、あっという間にそういうことに関心がある人に伝わってしまう。マスコミという情報媒体がなくても伝わってしまうという危険性が、今はかえって増しているように思いますね。



    太平洋戦争の時の日本の大本営発表なんかがそうです。ナチスもメディアを統制して情報を巧みに操作した一番の例と言えます。またアメリカもパナマやグレナダに侵攻した時は、徹底的にメディアをコントロールしたことで、ある程度侵攻を正当化するイメージを作り出すことに成功しました。湾岸戦争にもこういった姿勢が継続されたのです。



    政治権力と情報操作はほぼ一体のものといえるでしょう。

    歴史的に見ても、たとえ現代のようなマスメディアはなくとも、情報は常に操作されていました。

    例えば、古代ローマ帝国によって張り巡らされた道路網は、人や物の流通と同時に、情報を伝達するための生命線ともいえるものでした。その一方で統治システムそのものでもあったのです。ローマの統治に必要な情報は、公務連絡として直ちに各地に伝えられましたし、各地域の状況は迅速に収集され、反乱などの予兆があれば直ちに対処できるようにしていました。逆に属州が結集して反乱を起こしたりしないように、極力「ヨコ」の連絡網は設けないようにしていました。このように、この道路網はローマと各地を結ぶ「タテ」のシステムとして機能し、支配の固定化、さらにはその延長線上にある危機管理にも活用されたのです。これも広い意味での情報操作といえるでしょう。



    湾岸戦争の時にはインターネットという概念はほとんどありませんでしたが、もし今後戦争が起これば、戦場へ衛星電話とデジタルカメラを持っていきさえすれば、司令部で発表したものと違う“現実”をダイレクトに流すことができるでしょう。

    でも、写真一つとっても、素人が写したものと、プロが写したものとではどちらが人を惹きつけると思いますか。当然、プロの写真の方が写りもいいですし、やはりそちらの方に目がいってしまうのではないでしょうか。文章もまた同様でしょう。そういったプロがつくった素材を、“ある一個人がつくったホームページ”としてインターネットに載せたらどうでしょう。

    実はアメリカでは、こういった人間の心理状況を利用して、意図的に情報操作し世論をつくりだす、誘導していく研究を進めている機関があるんです。



    今インターネットに掲載されているホームページの状況を見てみると、個人が出しているホームページは日本だけでも何万件とあります。今後は、このようなネットワークで流れている情報を、世論がどう評価し、活用するか、考えていかなければいけない時に来ていると思うんです。

    これまでの紙メディアと同様のマスコミ的秩序で「こうでなければいけない」ということになると今までと同じです。電子メディアならではの特性を考慮しなければ、なんの解決にもならないし、発展もしていかないでしょう。

    私はこれからの電子メディアは、「民」のパワーを生む原動力になるのではないかと考えます。

    これまでのマスメディアでは発信者はごく限られた人だけで、社会の大多数の人はあくまでも受取人でしかありませんでした。ですが、電子メディアには誰もが発信者となれる可能性があります。そしてインタラクティブ(双方向)な通信ができるという特性がある。「点」がいくつも集まり「面」になっていくように、ある人から発信された情報が、共鳴や賛同を得て、これまでのマスメディアではできなかった「個の意見が社会を動かす」というパワーとなりうるでしょう。

    このパワーの表れの一つがダイオキシン問題です。この問題を扱ったホームページは日本全国たくさんあります。こうしたインターネットを通じて同じような問題意識を共有している人達がネットワークをつくり、それが世論になる。さらにそれらがマスメディアに取り上げられて、行政にフィードバックされていく・・・。こういったことが今後たくさん起こってくるのではないでしょうか。



    一時、次から次へ自分の関心のあるホームページを見ていって「ああそんなもんか」と安易に情報を受け取ってしまう「フリッピング(次々に画面を変えること)」に対する危険性が指摘されました。こうしたことを受けてアメリカでは、初等教育の段階から、情報の信憑性があるかないかという教育をすでに行っています。

    私自身感じていることですが「情報から疎外されることを恐れるな」と言いたいですね。これだけ情報があふれていると、不動産を探す時にしても、もっと情報があるに違いない、こんなに情報があるのに果たしてこれで良いのかと思ってしまう。自分自身に自信を持てなくなっている傾向があり、とにかく情報を抱え込んでしまおうとするんです。

    本にも書いたんですが、昔ニューヨークで新聞が止まった時、ある人は夢中でラジオを聞きまくり、また「新聞がなければ一体どうしたらいいんだ」と慌てふためいた人がいた中で、「情報が止まったら止まったで自分の生き方が変わるもんじゃない」と、泰然自若としていた人達も大勢いたと報告されています。事実社会的にも大した影響はなかったそうです。

    情報の海から、たまには砂浜へ上がって日光浴しながら情報の海を眺めていてもいいんです。

    ReplyDelete