近衛内閣総理大臣とヒットラー・ユーゲント招待晩餐会の食後に、共に円陣を作って歌ったり、馬とびや駆け足などして、うちとけた中で時を過ごしたという。
鈴木貞一(企画院総裁)「近衛さんは『いずれ、聖断を仰いでやらなくちゃならないから(戦争にはならない)』と楽観していた。陸軍の強硬派を食い止めれられるというニュアンスだった」
ウィキペディア近衞は『世界文化』に、「手記~平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。しかし近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判され、昭和天皇も近衛が生前残した手記を読んだ感想として、「どうも近衞は、自分に都合の良いことばかりを言っているね」と呆れ気味に語っている。また福田和也は、伊藤博文から小泉純一郎までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、そのあまりの無責任さがゆえに近衛に歴代総理の中での最低の評価点を与えている。
近衛内閣総理大臣とヒットラー・ユーゲント
ReplyDelete招待晩餐会の食後に、共に円陣を作って歌ったり、馬とびや駆け足などして、うちとけた中で時を過ごしたという。
鈴木貞一(企画院総裁)
ReplyDelete「近衛さんは『いずれ、聖断を仰いでやらなくちゃならないから(戦争にはならない)』と楽観していた。陸軍の強硬派を食い止めれられるというニュアンスだった」
ウィキペディア
ReplyDelete近衞は『世界文化』に、「手記~平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。
しかし近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判され、昭和天皇も近衛が生前残した手記を読んだ感想として、「どうも近衞は、自分に都合の良いことばかりを言っているね」と呆れ気味に語っている。
また福田和也は、伊藤博文から小泉純一郎までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、そのあまりの無責任さがゆえに近衛に歴代総理の中での最低の評価点を与えている。