Saturday, January 5, 2013

山岡洋一

読書好きが書店に行くのは、書店が楽しいからだ。だが、最近の書店はどうも楽しくない。楽しくないどころか、腹が立つばかりと思えることすらある。
その一因は、書店の規模が大きくなりすぎたことにある。出版点数が多すぎることも一因だろう。出版社は苦しくなると点数を増やして売上を確保しようとする。倒産直前の出版社ではたいてい、新刊点数が急増している。苦し紛れに出版点数を増やすときに、読みがいのある本が出てくるはずがない。
もっと問題なのは、気楽に読めると称する本が多すぎることだ。活字離れが進んでいるので、思い切り分かりやすい本でなければ売れないと、出版社は思い込んでいる。
ほんとうなら、出版業界が点数削減運動に取り組むべきだと思う。現在7万点ほどの年間出版点数が半分になれば、書店が楽しさを取り戻すかもしれない。だが、業界の総点数が減らないのに、自社だけが点数を削減すると、悲惨な結果になりかねない。
それよりも考えやすいのは破局シナリオだ。出版社が多数、倒産するシナリオ。そうなれば少なくとも一時的に、総点数が大幅に減少する。。。

2 comments:

  1. 本はなぜ売れないのか

    by 山岡洋一

    http://www.honyaku-tsushin.net/pub/bn/naze.html

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  2.  出版翻訳の現状を考えるとき、出版業界全体の動きを無視するわけにはいかない。そして出版業界はいま、長引く不況に苦しんでいる。過去5年以上、書籍の市場規模は減少傾向をたどっている(昨年は、『ハリー・ポッター』の大ヒットで微増になったようだが)。その一方で出版点数は伸びつづけており、1点当たりの売上高が急激に減少している。

     ではなぜ本が売れなくなったのか。さまざまな説がとなえられている。若者が携帯に小遣いを使い果たして、本を買えなくなっているとされている。若者の活字離れという説もある。いわゆる新古書店が増えているからという説もあれば、公共図書館が無料で本を貸し出すからだという説もある。

     個人的な見方だが、これらはどれも的を射ていないように思えてならない。近ごろの若者は本を読まないというが、数十年前にも、本を読むのは若者のうちせいぜい5%から10%にすぎなかったように思う。古書店で本を安く買えるのは、いまにはじまった話ではないし、図書館は昔から無料で貸し出すのが仕事だった。

     それよりも、本の流通経路が荒れていることの方が大きな要因になっているように思う。どんな業種のメーカーにとっても、流通経路の確立は頭の痛い問題だが、出版社にとっては、考える必要すらない点になっている。取次という卸から書店という小売店への流通経路が確立していて、取次に納品しさえすれば、書店に配本され売ってもらえる仕組みが確立している。

     高度経済成長期までは、本は主に町の小さな書店で売られていた。10坪から20坪の小さな書店が中心だった。書店にはたいてい、集団就職で地方からきた店員がいて、自転車でお得意さんに本や雑誌を届けていた。同時に、日本文学全集とか百科辞典とかのパンフレットを持っていく。当時、本の流通は小さな書店の店頭と御用聞きの二本の柱で支えられていた。

     高度経済成長で人件費が上昇すると、この方法は使えなくなった。御用聞きに回る店員がいなくなり、本の流通は書店の店頭での販売だけに頼るようになった。読者に書店まで来てもらい、本を手にとって見てもらう方法だけにほぼ頼るようになったのだ。小さな書店では並べられる本の数がしれているので、大規模な書店が増えるようになった。

     この流通の仕組みは、出版社や書店にとっても読者にとってもありがたいものだといえるだろう。出版社や書店にとっては、読者が店に来てくれて、店頭の大量の在庫のなかから自分で買いたい本を探してくれるので、効率的に販売できる。店頭に本を並べておくことが最大の宣伝になるので、広告費をそれほどかけなくてもいい。読者にとっては、書店に行けば大量に並んでいる本のなかから、自分の好みや必要にあうものを探せるので、効率よく買い物ができる。

     だが、出版社や書店にとっての効率性は、ひとつの前提のうえに成り立っている。それは、読者が書店に来てくれるという前提である。酒飲みが酒屋や飲み屋に自然に集まるように、読書好きは書店に自然に集まる。読書好きにとって、書店はこたえられないほど楽しい場所であり、何時間いても飽きない場所だ。だから、読者が書店に来てくれるのは、疑う必要もないほど当然のことであった。

     しかし近年、読書好きが書店に集まるのは当然だとはいえない状況が生まれてきているように思える。読書好きが書店に行くのは、書店が楽しいからだ。だが、最近の書店はどうも楽しくない。楽しくないどころか、腹が立つばかりと思えることすらある。

     その一因は、書店の規模が大きくなりすぎたことにある。大きすぎて、なかなか本を探し出せなくなった。出版点数が多すぎることも一因だろう。点数が多すぎるから店頭での回転が早すぎる。新刊書でも書評がでるころには、もう買えなくなっている。友人や知人に勧められた既刊本を探すのは不可能に近い。

     点数の増えすぎは困ったものだ。出版社は苦しくなると点数を増やして売上を確保しようとする。極端な場合に、新刊を取次に持ち込んだときに一時的に入る代金だけを目当てに、いうならば融通手形代わりに新刊をだすことすらある。だから、倒産直前の出版社ではたいてい、新刊点数が急増している。現在、出版業界全体がそういう状況に陥っているように思える。苦し紛れに出版点数を増やすときに、読みがいのある本が出てくるはずがない。安易な企画、安易な内容の安易な本が増えるのは当然である。

     もっと問題なのは、分かりやすいと称する本、気楽に読めると称する本が多すぎることだ。活字離れが進んでいるので、思い切り分かりやすい本でなければ売れないと、出版社は思い込んでいる。だから、普段は本を読まない層を標的とする本を作る。どの書店に行っても大量に平積みされているのは、この種の本ばかりのように思える。

     酒飲みが酒屋に行ったら、ノンアルコールを売り物にするビールやワインばかりが並んでいたようなものだ。酒屋の主人に聞いたら、酒飲みばかりを当てにしていたら商売を大きくできないからね、普段は酒を飲まない層にも買ってもらえるようにしなければ、と言う。こう言われた酒飲みはどうするだろう。ざけんじゃねぇ、お前んとこでは買ってやらないからなと言うだろうか。だが、どの酒屋に行っても同じだったらどうするのか。

     本好きにとって、いまの書店はそういう状況に近づいているように思える。本の流通を担ってきた書店が荒れている。書店が読書好きにとって楽しい場ではなくなってきた。だから、書店ではなく、古書店や図書館に足が向かうという場合もあるはずだ。あるいは、ごく少数だろうがインターネット書店で買う人もいる。出版社にとって最悪なのは、読書以外の趣味を探すようになることだろう。

     ではどうすべきなのか。ほんとうなら、出版業界が点数削減運動に取り組むべきだと思う。現在7万点ほどの年間出版点数が10分の1とはいわないが、せめて半分になれば、書店が楽しさを取り戻すかもしれない。読者の立場からは、そして出版翻訳者の立場からは、これがもっとも望ましい解決策だと思う。出版社の立場からも、総点数が劇的に減れば、おそらく1点当たりの売上高が増加するし、返本が減り、経費も減るので、採算がよくなるのではないだろうか。だが、業界の総点数が減らないのに、自社だけが点数を劇的に削減すると、売上高がそれに比例して激減し、悲惨な結果になりかねない。一斉にならできるが、一社ではできない。だから、総点数の削減は容易ではない。

     それよりも考えやすいのは破局シナリオだ。たとえば、取次の大手が倒産して出版社が多数、連鎖倒産するシナリオ、出版業界の大手がいくつか倒産し、中堅もつぎつぎに倒産するシナリオなどだ。そうなれば少なくとも一時的に、総点数が大幅に減少する。その後に編集者や営業担当者などが小さな出版社を作って、着実な本、ほんとうに価値の高い本を出版するようになる可能性もある。破局は誰にとっても不幸だが、それ以外に出版業界を建て直す方法がない可能性もある。

     いずれにせよ、総点数が減るかどうかは分からないし、減るのを待っているわけにはいかない。もう少し積極的な方法がないものだろうか。

     きわめて間接的な方法ではあるが、読書の楽しみ、読書の素晴らしさを思い出して、周囲にそれを伝えていく努力をしていくのが、おそらくもっとも効果的だと思う。知らなかったことを学ぶのは楽しい。難しいことを学ぶのは楽しい。分かりにくい問題を考えるのは面白い。知らなかった世界を体験できる読書は素晴らしい。これが読書の原点だ。この原点に立ち返るべきだろう。

     子供はみな、好奇心が旺盛だ。本を読んで知らなかった世界のことを知ろうとする。分かりやすく読みやすい本がいいなどとは言わない。読めない漢字や知らなかった言葉にぶつかってもへこたれない。へこたれないどころか、新しい言葉に出会えたことを喜んでいる。これが人間の自然な感情なのだ。文章が長いと文句を言い、言葉が難しいと文句を言い、内容が難しいと文句を言うのは、どこかに歪みがある。もっと素直になって、好奇心と知識欲を取り戻すべきなのだ。

     もちろん、はったりと虚仮威し〔こけおどし〕ばかりの文章を読まされれば、文句を言いたくるのも当然だ。だから、本を作る側の人間はよほど注意しなければならない。だが、そのうえで、難しいから読む価値がある、新しい世界に出会えるから価値がある、知らない言葉が使われているからじっくり味わう価値があると主張すべきなのだと思う。

     そういう本を求める層はごく少ないと思えるかもしれない。だが、読書は昔も今もオタクの世界だ。オタクのためにオタクが作るのが本だ。そして、昔も今も、読書オタクがいくら少なくても1%はいる。たぶん5%ほどはいるのではないだろうか。少ないと思うかもしれないが、人数にすれば120万人から600万人だ。市場の核としては十分な数だ。そして、年間1兆円に満たない書籍の市場のうちかなりの部分は、この層によって支えられている。この層に背を向ければ、出版は成り立たないと思う。

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