Wednesday, August 24, 2011

楮山ヒロ子

あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう。

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  1. 原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、年を追って風化が進み、危険であるという意見が起こった。一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。流れを変えたのは1人の女子高校生、楮山ヒロ子の日記である。彼女は1歳のときに被爆し、15年後の1960年、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」等と書き遺し、これを読み感動した平和運動家の河本一郎が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年に広島市議会は永久保存することを決議する。

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