Wednesday, August 24, 2011

和田俊

アジア的優しさ持つ カンボジア解放勢力のプノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の跡がほとんど見られなかった。入城する解放軍兵士とロンノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。政府権力の委譲も平穏のうちに行われたようだ。しかも、解放勢力の指導者がプノンペンの裏切り者たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろ」と繰り返し忠告した。
「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えたくれた方がいい」という意味であり的を遇する上で、きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる。
---
カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。

3 comments:

  1. ポルポト派は優しい
    1975年4月19日
    朝日新聞夕刊

    和田俊
    朝日新聞記者

    ReplyDelete
  2. Yelm 2007/06/17 20:36

    ポルポトが政権を取った1976年は、前年にベトナム戦争が北の勝利で終わったばかりでした。
    当時、日本のいわゆる「進歩的勢力」はこれらの動きを「米帝の支援を受けた腐敗政権を正義の共産勢力が打ち倒した」と言う図式で見ていたのです。
    (ベトナムやカンボジアの政権が腐敗していたのは事実ですが、共産勢力が正義で無く腐敗と無縁でも無かったのは今更言うまでもないでしょう)
    この図式からすれば当然、ポルポト政権は正義の側であり、虐殺などはあるはずがない事になります。
    実際、朝日新聞の別の記者井上一久は朝日ジャーナル75年7月11日号にて「ポルポトの虐殺を訴える亡命クメール人には明らかにCIA、DIA(米国防総省情報局)の手先とわかるものが多い」などと虐殺はアメリカのでっち上げだと主張しています。
    また和田俊本人はその後ニュースステーションでベトナムのドイモイ政策について取り上げた特集でひたすら「あんな大きな戦争を戦い抜きましたからね」と壊れたレコードのように繰り返して発言していました。
    ベトナム戦争終結から既に20年近くを経ていたにも関わらず、彼の脳内では「ベトナム戦争」以外のイメージが無かった、と言うよりそれ以外を受け入れるのを拒否していたのでしょう。
    この事から和田のような記者達はベトナム戦争時代に凝り固まってしまった図式でしかインドシナの実情を見ることが出来ず、それがあのような結果を招いたと思われます。
    ただし彼らが何ら処分されておらず、むしろニュースステーションにて「朝日新聞の顔」として扱われたところから見れば、朝日新聞が社としてそのような報道をする方針であったのは間違いないでしょう。

    ReplyDelete
  3. new_hope 2007/06/16 00:44

    捏造という行動に目が行きがちですが、その背後にある「思想」がそうさせるのだと思いますよ。カンボジアの記事に関しては捏造というよりも、和田記者本人が本気でそう思っているように感じ取れました。

    メディアは真実を報道する責任があると言いますが、もともとは「権力者の嘘や不正を暴いて国民を守る」という思想があったわけです。中立ではなくてあくまでもひとつの思想を持った勢力です。だから、真実でも中立でもないんです。
    本当に真実や情報を右から左へ伝達するだけであれば、そこに正義も悪もない無味乾燥なもののはずなのですが、メディアは「真実を報道する」というところに正義感もっていますね?そこにはある種の思想があることを意味していると思います。
    民主主義が実現した以上、いつまでもその思想や正義感を持っていていると、単なる一政治団体になりかねません。

    そもそも人が何の感想も持たず、自分のフィルターも通さずに記事を書くのは不可能です。ある一点からの「自分の主観の範囲内で客観的に」伝えるのが限界です。こうあって欲しい、ああなって欲しい、こうあるべき、これは許せない、これが好き、あれが嫌い・・・、そういうものから逃れられないわけですが、それでも真実を歪曲せずに報道していると勘違いしていると、歪みが出てくるのだと思います。これは見る側も同じですよ。
    「あぁ、和田記者にはそう見えたんだな」、「あまり犠牲者や死者のことは気にならない人なんだな」、「クメール=ルージュ側の思想に好感を持ってる人だな」という風に記事を捉えれば、たったそれだけの話です。メディアが真実を客観的に報道するものだと勘違いすると、疑問に思えてきます。

    正義感というのは最もタチが悪いもんですよ。権力者VS民衆という図式が終わって、何が正義なのかすら多様になっている今でさえ、どうも朝日新聞はいまだにひとつの思想に基づいた正義感が強いようです。正義のためなら多少の不正も犠牲も目に入らない。そして、正義をみんなに理解してほしい。なかなか理解してもらえないなら、理解してもらうために捏造などはあまり深刻な問題だとは思えない…。

    客観に徹する努力が足りず、なにか主張しなければ気が済まないようです。で、なにかを主張したり人を説得しようとしたら、その材料や情報を集めるのが普通ですから、捏造などということになります。自分の伝えたい大きなことを伝えるために、小さなウソはあまり気にならないという感覚は、誰しもあるはずです。悲しいことに新聞社も例外ではありませんし、正義感でやってる以上本人たちが気づくことは無いと思います。

    ReplyDelete