Sunday, August 28, 2011

寒川旭

 日本の歴史は地震の歴史と言っても過言ではない。時代の大きな変わり目は地震が後押しした側面がある。100年余りの間隔で繰り返す南海トラフの地震でいえば、宝永地震(1707年)は江戸幕府の衰退、安政東海、安政南海地震(1854年)は幕府の崩壊、昭和の東南海地震(1944年)は敗戦直前の日本を消沈させた。このほか、関東大震災(1923年)で日本経済は大打撃を受け、「大陸進出やむなし」との風潮をつくったといえる。
 古代まで振り返ると、東日本大震災をもたらした巨大地震と最も似ているのが869年の貞観地震だ。菅原道真らが編さんした歴史書「日本三代実録」には、仙台平野北部の多賀城下に津波が押し寄せたことが記されていた。
古い史料はあてにならないと思っていないだろうか。「日本三代実録」を含む奈良・平安時代に編さんされた六つの官撰(かんせん)の歴史書(六国史)は、当時の最高の頭脳が集まってつくられた。地震の記録は非常に正確だ。貞観地震以外にも9世紀の日本では各地で地震が続いた。現在の日本列島の地震活動と共通点が多く、この時期をよく知ることは次に起きる地震で多くの命を救うことにつながるだろう。
 たまたま地震が少ない時代に高度成長期を迎え、自然を征服してしまうような発想で国づくりが進められた。埋め立て地が増え、丘陵を改変して、地盤の悪い場所に移り住んだ。
 もう一度謙虚に自然を理解し、共存する方法を考えるべきではないだろうか。日本はいつの時代も地震に悩まされ、その度に残された教訓がある。歴史からそれらを学び、今後の備えを充実させなければいけない。

1 comment:

  1. 東日本大震災規模とされる平安時代の貞観地震(869年)や関東直下型地震,東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和地震など9世紀に起きた地震が,阪神大震災(1995年)以降の地震の状況と酷似していることが,産業技術総合研究所の寒川旭招聘研究員(地震考古学)の分析でわかった.近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し,「今世紀は,千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らした.

    古村孝志東大地震研究所教授(地震学)も,「これまで,江戸時代以前のデータは不確かさがあるということで防災対策などでもあまり注目されなかったが,今回を教訓に文献史料などを見直さないといけない.東日本大震災後の余震は以前より落ち着いてきたが,陸のプレート深部はまだ動いており,バランスをとるために再び大地震が発生する可能性が高く,対策が急がれる」としている.

    寒川産総研研究員は,古代以降の文献史料とともに,各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査.9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード7前後の地震が相次いだ後,貞観地震が発生していることを確認した.貞観地震については,当時の歴史書「日本三代実録」が「海は猛り吼え,津波が怒濤のように多賀城下に押し寄せ,千人がおぼれ死んだ」との記述がある.当時の海岸から約5キロ内陸の多賀城跡(宮城県多賀城市)周辺では道路が寸断された跡が見つかり,仙台市などでは津波で運ばれた堆積物もあった.

    878年には関東南部でM7以上の直下型地震が発生した.887年の仁和地震では,日本三代実録に「京の都の建物は倒壊し,圧死する者多数.海岸には海潮が押し寄せ,無数の人がおぼれ死んだ.大阪湾岸も津波被害が甚大だった」との記録がある.このときは,東海から四国にかけて甚大な被害があったという.

    最近の数十年間に,秋田などで死者100人以上を出した日本海中部地震(1983年,M7.7)や阪神大震災(M7.3),新潟県中越沖地震(2007年,M6.8)など各地でM7前後の地震があり,その後東日本大震災が発生した点が平安時代の状況と共通していると,寒川研究員は分析し,指摘した.首都圏直下型地震や東海・東南海・南海地震についても,いずれもフィリピン海プレートの影響下にあり関連が深く,過去の首都圏直下型や仁和地震に匹敵する3連動型地震が発生する可能性が高いとした.

    また,2011年6月30日に長野県中部で起きた震度5強の地震は,千年あまり活動がなかった牛伏寺断層付近で発生した.7月5日にも和歌山県北部で震度5強の地震があり,日本列島が活動期にあることが改めて浮き彫りになった.寒川研究員は「東日本大震災では想定外という言葉がしばしば使われたが,文献史料には過去の巨大地震が詳しく記されており,決して想定外ではない」と話した.

    これ以外にも,M8.2程度の元禄関東地震(1703年)や3連動型の宝永地震(1707年)があった「18世紀初め」は地震が多かった.また安政東海地震(1854年)や,翌日高さ9メートルの津波が襲った安政南海地震,さらに死者1万人の安政江戸地震(1855年)が起きた幕末の時代にも巨大地震が集中したが,このときは三陸沖での東日本大震災に匹敵する地震はなかった.

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