Sunday, September 4, 2011

イ・ジョングム

代表選手という夢に向かってまい進し、いざ代表チームに合流して試合をすると、サッカーのスタイルやレベルの差、文化的な違和感、劣悪な環境に失望し、自分の選択に対する葛藤もあったようだ。 言葉も完全には通じず、自分でユニフォームを洗濯するなど、あらゆる面で馴染めなかったと思う。 それに気がついたので新幹線に乗って名古屋から東京へ行き、大世を叱った。 ‘いつからお前がそんなに偉くなったのか。初心に戻って努力しろ’と言い聞かせた。。。
プロ入団当時、大世はいつもベンチにいた。 朝鮮大学時代に活躍したといっても井の中の蛙だ。。。 また当時は横田めぐみさんら日本人拉致被害者問題で反北朝鮮感情がピークに達していた頃で、心理的な動揺もあったようだ。 こうしたことを乗り越えるには結局は練習しかない。
(母親は北朝鮮国籍を守っているが、父親は韓国籍。。。)
32年前に見合いで大世の父に会った。在日同胞でない人は理解しがたいかもしれないが、私たちのような夫婦は多い。 日本に帰化せず、韓民族として生きていくなら国籍は関係ない。
子どもをどの学校に通わせるかでひどく夫婦げんかをした。 夫は日本の学校に送ろうと言ったが、私は朝鮮学校を譲れなかった。 私は結婚前まで朝鮮学校初等部の教師を8年間務めた。 日本の学校に通えば、いくら国籍を維持しても、結局は日本人になってしまうという信念に変わりはない。
重要なことは民族的プライドと歴史と文化を教えることだ。 韓国国籍の父母も私たちの言葉と文化を学ばせるために朝鮮学校に子どもを通わせる。日本の学校に行けばいじめられることもあるが、朝鮮学校にはそういうものがなく堂々と通える。 韓国への敵対感のようものは私からしてない。 テレビをつければ韓国ドラマばかり見る。 韓国には3度行ったが、行く度にやはり自分の国だという気がし、今でも最も行ってみたいところだ。

3 comments:

  1. 「‘国籍は韓国、所属は北朝鮮’の鄭大世、そして母イ・ジョングムさん」
    中央日報日本語版

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  2. 南アフリカワールドカップ(W杯)が輩出したもう一人の新星は‘涙のスター’鄭大世(チョン・テセ、26)だった。 44年ぶりにW杯の舞台に出てきた北朝鮮代表の成績は3戦全敗(12失点1得点)と惨憺たるものだったが、鄭大世は群鶏一鶴の力を見せ、独ブンデスリーガ(Vflボーフム)にスカウトされた。 鄭大世の国籍が韓国という事実は天安(チョンアン)艦事態で前例なく悪化した南北関係と絶妙にオーバーラップし、韓国人に多くのことを考えさせる。 鄭大世がドイツへ行った後、彼の故郷の家を訪れた。 母のイ・ジョングムさん(58)に会い、鄭大世とやり残した会話をするためだった。 5時間にわたる対話から、‘鄭大世闘魂’の源泉はまさに母だという結論が出た。


    --疲れを知らず猪突的にグラウンドを駆け回る強靭さが高い評価を受け、ドイツ移籍につながったようだ。

    「ハングリー精神だ。 ご飯も食べられない貧困を克服するためにサッカーをしたというのではない。 余裕はなかったが、大世は幼い頃から大きな苦労なく育った。 私が話すのは、在日同胞が日本の地で暮らす限り少数者(マイノリティー)になるしかないが、これを克服して堂々と生きていくためには、何をするにしても頑張るしかないということだ。 あえて言うなら民族的なハングリー精神というか…」

    --ブラジル戦で見られた‘大世の涙’が話題だ。 強靭な精神力と外貌に似合わない気もするが。

    「その時、私は観客席にいたが、大世が泣いている姿がスクリーンに映った。 大世の気持ちが分かるので自分の目からも涙が出てきた。 大世はW杯の舞台で世界のスターと肩を並べられる喜びから泣いたと話したが、必ずしもそれだけではないと思う。 大世の涙は在日同胞の恨と痛みを象徴する涙だ。 目に見えない差別と障壁を乗り越えてプロ選手になり、W杯にまで行ったのだから。 その短い瞬間に、決して順調でなかった自分のサッカー人生が走馬灯のようにかすめて行ったと話していた」

    --鄭大世はつらい時は母のことを考えて乗り越えたと話しているが、最も苦しんでいたのはいつ頃か。

    「大世が最もさまよったのは共和国(北朝鮮)代表になった後だった。 代表選手という夢に向かってまい進し、いざ代表チームに合流して試合をすると、サッカーのスタイルやレベルの差、文化的な違和感、劣悪な環境に失望し、自分の選択に対する葛藤もあったようだ。 言葉も完全には通じず、自分でユニフォームを洗濯するなど、あらゆる面で馴染めなかったと思う。 それに気がついたので新幹線に乗って名古屋から東京へ行き、大世を叱った。 ‘いつからお前がそんなに偉くなったのか。初心に戻って努力しろ’と言い聞かせたが、その後から大世が変わった」

    --鄭大世に最も強調してきたことは。

    「練習だった。 プロ入団当時、大世はいつもベンチにいた。 朝鮮大学時代に活躍したといっても井の中の蛙だ。 朝鮮大学は東京の大学チームの中でも3部リーグに属するほどで、強いチームと試合をした経験もほとんどなかった。 また当時は横田めぐみさんら日本人拉致被害者問題で反北朝鮮感情がピークに達していた頃で、心理的な動揺もあったようだ。 こうしたことを乗り越えるには結局は練習しかない。 一日も欠かさず大世に電話をかけ、‘今日はどれほど練習したのか’と確認することが、プロ入団後3年間ほど続いた」

    --敏感な部分かもしれないが、国籍のことを話してほしい。 母親は北朝鮮国籍を守っているが、父親は韓国籍だ。 鄭大世の家庭を分断の象徴と見るべきなのか、それとも統一した家庭と見るべきなのか。 結婚する時は家族の反対があったと思うが。

    「32年前に見合いで大世の父に会った。在日同胞でない人は理解しがたいかもしれないが、私たちのような夫婦は多い。 日本に帰化せず、韓民族として生きていくなら国籍は関係ない」

    --鄭大世が父と同じ韓国国籍にもかかわらず北朝鮮代表になったのは、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝鮮学校を卒業したためだというが。

    「子どもをどの学校に通わせるかでひどく夫婦げんかをした。 夫は日本の学校に送ろうと言ったが、私は朝鮮学校を譲れなかった。 私は結婚前まで朝鮮学校初等部(小学校)の教師を8年間務めた。 日本の学校に通えば、いくら国籍を維持しても、結局は(精神的・文化的に)日本人になってしまうという信念に変わりはない」

    --朝鮮学校に通えば政治的に北朝鮮体制を信奉し、韓国に対しては敵対感を抱くのでは。

    「必ずしもそう考える必要はない。 重要なことは民族的プライドと歴史と文化を教えることだ。 韓国国籍の父母も私たちの言葉と文化を学ばせるために朝鮮学校に子どもを通わせる(大韓民国民団系学校は日本全国に4カ所しかないため選択の余地がない)。日本の学校に行けばいじめられることもあるが、朝鮮学校にはそういうものがなく堂々と通える。 韓国への敵対感のようものは私からしてない。 テレビをつければ韓国ドラマばかり見る。 韓国には3度行ったが、行く度にやはり自分の国だという気がし、今でも最も行ってみたいところだ」

    --南アフリカでは韓国代表チームも熱心に応援していたようだ。

    「韓国-アルゼンチン戦では北側の応援団も一緒だった。私たちの前に韓国の応援団が座っていたが、私たちに感謝の言葉を伝えてきた。 試合に敗れて残念だったが、試合が終わった後は南北応援団が一緒に鉦を打ちながら踊って交流した。 その瞬間、理念葛藤なく韓民族が一つになった」

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  3. 鄭 大世(チョン・テセ、정대세、1984年3月2日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表のサッカー選手。ポジションはフォワード (FW) 。ブンデスリーガ2部・VfLボーフム所属。韓国籍、愛知県名古屋市生まれの在日コリアン(3世)。

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