「今、話題になっているTPPと同じですよ。期限を区切って、回答を要求する。アメリカ人の大好きな手口です」。10月中旬、都内の喫茶店で、男性が声を潜めながらも憤りを露わにしていた。彼は都内の中堅出版社「S出版」(仮名)に勤める書籍編集者。編集業務のみならず著作権管理にも精通したベテランだ。
ネット通販大手の米国のアマゾン・ドット・コム社(以下、アマゾン)からS出版に送られてきた封筒。そこに入っていた契約書案を見て、男性は愕然としたという。彼の話によると、アマゾンは年内にも日本で電子書籍事業に参入する予定。国内の出版社130社に対して共通の書面で契約を迫っているそうだ。しかし、その契約書は「アマゾンは出版社の同意なく全書籍を電子化できる」「売上の55%はアマゾンに渡る」「価格は書籍版より必ず低くせよ」など、出版社側に不利な内容だった。アマゾンは「10月31日までに返答せよ」と要求している。
「こんなの論外ですよ。もはやロイヤリティ以前の問題です。一読してもらえば、どんなにひどい内容か分かりますよ」と、男性は吐き捨てるように言った。アマゾンは一体何を狙っているのか。男性の話から、「黒船」来襲で動揺する出版業界の内幕が見えてきた。
安藤健二
ReplyDeleteBLOGOS編集部
「これまでの全書籍を電子化せよ」
ReplyDelete男性はこう説明する。
「10月上旬に説明会があったんです。渋谷にある日本法人"アマゾンジャパン"に、うちも含めて各出版社の担当者が呼ばれました。全部で130社が集まったそうです。そこでアマゾン側が『我々は日本でも電子書籍事業を開始することにした。後日、契約書を送るのでサインして欲しい』と表明しました。しかし、数日後に、送られた書面を見て、呆れるほかなかったんです」
そう言いながら、男性は契約書のコピーをこっそりと差し出した。「KINDLE電子書籍配信契約」と書かれたその文書には、事細かに契約条項が並べられている。KINDLE(キンドル)とは、アマゾンの電子書籍端末の名前だ。キンドル向けに提供されるコンテンツは、他社のスマートフォンやタブレット端末で読むことができる。
「まず問題なのは、この部分です」。男性が、契約書の冒頭部分を指差した。そこにはこう書かれていた。
出版社の新刊書籍をすべて本件電子書籍として本件プログラムに対し提供するものとする。
さらに、出版社は、権利を有する限りにおいて、既刊書籍についても本件電子書籍として本件プログラムに対し提供するために商業的合理的努力を尽くすものとする。
出版社が上記権利を有しているにもかかわらず本件電子書籍として提供されていないタイトルがある場合、出版社は、Amazonが自己の裁量および負担で当該タイトルの本件電子書籍を作成し、出版社の最終承認を得ることを条件として(ただし、かかる承認は不合理に留保されないものとする)、当該本件電子書籍を本件プログラムにおいて配信することを許諾する。
「ひどいものですよ」と男性はため息をつく。「新刊だけでなく、これまでに出した全ての書籍を電子化する権利を渡せというんです。しかも、それに対して出版社側は拒否権を持てないというんです」。確かに、これではアマゾンにあまりに都合がいい条文だ。「しかし、これなどまだ甘い方です。肝心のライセンス料が法外なんです」。男性は続けた。
売り上げの半分以上はアマゾンへ
ReplyDeleteAmazonは当月中の各本件電子書籍の顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格を出版社に対して支払うものとする。
i.推奨フォーマットで提供された本件電子書籍については、希望小売価格に[55%](100%-正味)を乗じた金額
ii.推奨フォーマット以外のフォーマットで提供された本件電子書籍については、希望小売価格に[60%](100%-正味)を乗じた金額
iii.本件電子書籍の特別プロモーションのために双方間において合意するより高い料率(100%-正味)を希望小売価格に乗じた金額
アマゾンの価格設定は以上のように記載されていた。若干分かりにくかったので、男性にどういうことか確認してみた。
「要するにアマゾンが推奨するAZWフォーマットで電子化された書籍は、小売価格のうち55%をアマゾンが得るということのようです。評判の悪いiBookstoreですら、アップルの取り分は30%なのに段違いです。つまり、アマゾンで電子書籍化すると、出版社に渡るのはわずか45%。この中から、著者への印税を我々が払わないといけないんです」
そう男性は語る。ちなみに推奨フォーマット以外だとさらに出版社への分け前は減り、わずか4割に。特別プロモーションの場合には、さらに下がるという。
欧米流の「著作権管理」を要求
ReplyDelete契約書を読んでいて気になる文面があった。「権利帰属および支配」という条項に以下のように書かれているのだ。
出版社は、本件コンテンツに関する著作権およびその他の全ての権利および利益を保有
「あれ?著作権って、本の著者が持っているはずでは」。出版社が著作権を保有するとはどういうことなのだろう。不思議に思って、男性に質問してみた。
「よく気づきましたね。実はこの条文が、今回の契約書の肝なんです。日本の出版社が持っているのは単行本の出版権だけで、著作権は著者個人に帰属しています。ところが、この条文には全書籍の著作権を出版社が一括して管理せよという風に書いてあるんです。欧米では普通のやり方ですが、日本でやっている出版社はまずありません。今回、アマゾンと契約書を締結するためには、今まで本を出した全て著者に『アマゾンで電子書籍化するので、著作権を全て我々に管理させてください』と了解を取ってライセンス料も払わないといけない。これを一ヶ月以内にやるのは、はっきり言ってどんな会社でも不可能です」
なるほど……。 欧米で本や雑誌を出版する場合は、出版社は作家から本・雑誌記事の著作権を買い取る契約をするのが通常だと言われている。今回のアマゾンの契約書は、欧米の出版方式に合わせた契約書になっており、日本の出版界の実情とは全く異なっていたのだ。
「紙の書籍より高くしてはならぬ」
ReplyDeleteこのほか、価格決定権もアマゾン側が握っているという。契約書には以下のように書かれている。
本件電子書籍の希望小売価格の税込価格が当該国における当該本件電子書籍の紙書籍版の最も低い希望小売価格(または定価)を超過する場合、当該本件電子書籍の希望小売価格の税込価格は、同日付で当該価格と同額とみなされるものとする。
つまり、アマゾンで売られる電子書籍版の価格が、一円でも紙の書籍を上回った場合には、強制的に紙の書籍と同額になるというのだ。
「本来、本を売る書店であるはずのアマゾンという業者が、本の価格決定およびリアル出版の部分に影響を与える可能性を多分に秘めている条項なんです」と男性は指摘する。
このほか「カスタマー対応のために、データを返却しない」などアマゾン側に有利な条項が続々と並べられていた。
日経スクープはアマゾン側のリーク?
ReplyDeleteあまりにも日本の出版事情に合わない契約書。男性は「130社のうち、アマゾンと契約する会社はまずないでしょう」と打ち明ける。S出版も、すでに今回の契約には応じないことをすでに決めているそうだ。
ところが、その最終調整の最中に意外な新聞報道があった。10月20日の日経新聞朝刊で、「アマゾン、日本で電子書籍」という記事が一面トップを飾ったのだ。内容を一部抜粋しよう。
インターネット通販で世界最大手の米アマゾン・ドット・コムは日本で電子書籍事業に参入する。小学館、集英社など出版大手と価格設定などで詰めの交渉に入っており、年内にも日本語の電子書籍を購入できるサイトを開設。
スマートフォン(高機能携帯電話)などに配信し、自社の電子書籍端末「キンドル」も投入する構え。日本勢も紀伊国屋書店や楽天がソニー製端末への書籍提供を始める。日本でも電子書籍の普及が本格化しそうだ。
アマゾンは講談社、新潮社などとも交渉しており、1~2カ月以内に数社との契約を目指している。中堅出版のPHP研究所(京都市)とは合意した。PHPは約1000点の書籍を電子化して提供する方針。
(略)
国内ではアマゾンの安売りを警戒する出版社側がアマゾンへの電子書籍提供に難色を示していた。アマゾンは出版社側に対し、電子書籍の発売時の価格設定や値下げのタイミングについて両者が事前に協議する仕組みを提案したもようで、交渉が進展した。
この記事を読む限りでは、各出版社との交渉が進展しているように見える。この記事は事実に反しているとでも言うのだろうか。「はい、交渉の進展については全く事実と違いますよ」と、男性は断言する。
「この記事は、実態を知っている物からすると非常にキナ臭い内容でした。大手の講談社、小学館、新潮社、集英社と交渉中だと報じていましたが、私のところに入ってきた情報だと少なくとも講談社と小学館とは破談。新潮社との交渉も一ヶ月近く止まっているようです。PHPの情報は掴んでいませんが、他の大手も進展はないでしょう。これらの大手出版社には、10月初旬の一斉説明会の前に、事前に話が行ってたようで、大手との協議が進まないから、中堅どころを一斉に呼んで契約書を送りつけたというのが実態のようです。下手な鉄砲、数打てば当たるという目論見ですよ」
その上で、「日経新聞のスクープは、アマゾン側のリーク情報だったのではないか」と驚くべき指摘をした。
「10月20日にこの記事が出たというところがポイントです。恐らく10月31日の期限を前に、130社に対する脅しなんです。『他社は契約するよ。この流れに乗らないとやばいよ』と危機感を煽らせるために、アマゾン側がわざとリークして日経に書かせたのではないでしょうか」
そう言って、男性は苦々しげな顔でコーヒーを飲み干した。
「誰も幸せにならない電子書籍」
ReplyDelete「これまで『電子書籍は取次を通さない分安くなる』、『紙の本よりもコスト減になる』など、著作権者も出版社も儲かるというような夢物語が語られてきましたが、それらは本当に夢物語だったんです。」
彼は電子書籍の将来について、バサっと切り捨てる。
「電子書籍全体の売り上げは伸びているのは当たり前です。電子書店が、それだけたくさんできているからです。ただ、その伸びは鈍化しています。特に牽引役だった携帯電話向けコミックの息切れが如実なんですよ。出版業界は再販制度という流通制度に守れていながら、構造不況が続いてました。わずかに残された企業体力を加速度的に奪って、どん底へ叩き落す電子書籍の仕組みのバカさに付き合う必要がありません。そのことを著者も出版社もそろそろ気付くべきなんです。電子書籍は、結局、誰も幸せにならないんですよ」
出版不況にあえぐ出版社にとって、電子書籍は「救世主」のように見られていたが、実態は違っていたようだ。
取材を終えて
ReplyDelete今回、明らかになったアマゾンの契約書では、書き手が著作権を管理する日本の出版システムがガラリと変わり、出版社が著者から著作権を買い取ることが必要になる。現状では、ハードルがかなり高いと言っていいだろう。
ただし、もし出版システムを欧米流に切り替えて、作家から著作権を買い取り、アマゾンで電子書籍を流す役割をする出版社が一社でも出てきた場合、インパクトは大きい。作家の中にも、「紙の本が全然売れない今、電子書籍を主戦場にしたい」と思って、アマゾンの路線に乗る人が出てくるかもしれない。
アマゾンは今のところ、作家への個別交渉は行っておらず、電子書籍版の印税も出版社任せになるようだ。しかし、電子書籍化することで、より多くの印税を得ることができ、実際にヒット作も出てくる状況になれば、旧来型の出版社から作家が次々に流出する可能性がある。そうなると、全国の出版社や書店は、アマゾンに圧倒されてしまう可能性すらあるのだ。
今回の契約書は日本の出版社にとっては、あまりにも不平等な物で、取材に応じた男性が激怒するのはよく分かる。だが、出版不況が長引く中で、対応策が練られて来なかったのも事実。アマゾンという「黒船」が、日本の出版界にどんな影響を与えるのか。注意深く見守っていく必要がありそうだ。