Wednesday, February 1, 2012

来栖三郎

   長い封建政治の後に、突然欽定憲法によってほとんど闘うことなしに参政権を与えられた日本の民衆には、長期にわたる苦闘を経てマグナカルタを戦いとり、幾多の政治的試練を凌いで議会政治を守り続けてきた英国大衆のごとく、参政権の貴重さに対する深刻な自覚がなかったのである。仏教によって諦めを教えられ、儒教によって政治上の幸福を治者の「徳」に期待することを教えられてきたわれられ日本人は、被治者としての権利を主張することを知らなかったのである。
   われられは泣く子と地頭には勝てないと訓えられ、長いものに巻かれろと訓えられてきた国民である。少数ながら強い結束と力をもってすれば、いかようにも引きずり得る国民であることを、満州事変と二・二六事件とによって如実に示してしまったのである。今後われわれがこの悲しむべき過去の因習から脱却して、民主主義国家を建設し得るや否やは、今われわれの嘗めつつある苦い敗戦の経験が、わが国民一般にどこまで過去の過誤を認識せしめ得るかということに、かかっているのである。
   すでにマックアーサー元帥は、「。。。」という懸念を表明している。けだし従来わが国においては、一群の新聞雑誌記者が筆を揃えて書けば、それがただちに世論として受け取られる傾向があり、数万の群集が帝都の一角に集合して、あらかじめ用意された決議文に拍手を送れば、それがただちに全国民の意思を代表するものであるかに主張せられる有様であるから、軍隊が廃止せられ、警察が改善せられ、暴力団体が解散せられても、マックアーサー元帥の懸念を正当づける要因は、国民の生活態度の中にいまなお多分に存在しているのである。
   。。。
   しかし「諦」の因習によって極端な自己否定に陥った個人の間からは、政治上の向上も経済上の進歩も生まれてくるわけはなし、治者の「徳」にのみ依存する政治組織の下においては、大衆はややもすれば政治を他人事と考えて無責任なるエゴイズムに走るのみで、その間に真の民主主義が生まれてくるはずがない。われわれ日本人は今新たに民主主義の発程を切るに当って、まず「諦」の魔睡から覚醒し、他力本願政治の冬眠から脱却しなければならないのである。しかして後に改めて個人の尊厳に目覚め、己を尊び人を尊び、自己を愛し、他人を愛するいわゆるエンライトンド・セルフ・インテレストの何物なるかを体得する必要がある。

2 comments:

  1. 『泡沫の三十五年 日米交渉秘史』

    来栖三郎

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  2. しかし民主主義が多数政治であることを極度に押し進めて行くと、単にある一定時に生まれ合せ住み合せた個人らの多数決のみによって、本来永続的存在であり、子々孫々に伝うべき存在である国家社会の運命を、一挙にして未来永劫に破壊してしまうような危険もありうるから、祖先、自分、子孫と、この世の中を縦にかつ永続的に考えさせる「家」というものを、個人とともに社会の一つの単位として考えて行くことも、民主政治を建設して行く上において、われら東洋人が特に考慮すべき点ではなかろうか。

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