Saturday, June 9, 2012

白石理

大阪市長が、大阪人権博物館(リバティおおさか)を視察して「差別や人権に特化しており、子どもが夢や希望を抱ける展示になっていない」と批判したという。「どうしてもネガティブな部分が多い」、「夢や希望に向かって努力しなさいと教える施設に」と指示していたのに反映されていない、「僕の考えに合わない施設には公金を投じない」と言ったと報道された。その後、大阪人権博物館(リバティおおさか)への補助金打ち切りの方針が決まったという。
大阪人権博物館(リバティおおさか)は、設立以来、差別の歴史と人権、人の尊厳についての展示をしてきた。そのような目的を持って作られた施設である。「差別や人権に特化しており、子どもが夢や希望を抱ける展示になっていない」という批判は、靴屋でそばを注文して出てこないと文句を言うようなものである。まともな批判ではない。歴史の中で多くの人々がどのように差別され、社会から不当な扱いを受けてきたか、差別を制度化した社会の仕組み、そしてそれに対して、虐げられてきた人びとが、人としての尊厳と人権の実現を求めてどのように闘ってきたかということを、子どもたちが展示を通して学ぶことは、歴史上の事実を次世代に伝え、記憶を風化させないために大切である。そのための博物館は今も必要である。これは、施設運営の問題とか展示の仕方というようなことではなくもっと本質的な問題である。
「子供が夢や希望を抱ける展示になっていない」とは何を求めているのか。子どもに、大切な歴史上の事実を知らせるなということか。辛い、苦しい差別と偏見に耐えてこなければならなかった人々がいたことそして今もいること、不条理な社会の仕組みを子どもは知らない方がよいというのか。子どもたちは、このような展示を見て気が滅入るよりも、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行く方が、夢と希望を抱くことができるというのか。夢と希望はネガティブな歴史上の事実を隠すことで可能になるのか。真面目に反論するような主張ではない。
かつて、「子供だまし」という言葉がある。辞書には、「子どもをだますような見えすいたつくりごと」とある。しかし、今の子どもたちを侮ってはならない。「夢と希望」などという内容のない言葉で、嘘をついても無駄である。だまされはしないであろう。

1 comment:

  1. 「夢と希望」
    by 白石 理(しらいし おさむ)
    ヒューライツ大阪 所長

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