Wednesday, December 7, 2011

藤原帰一

平和っていうのはそんな観念よりも具体的な、目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかって問題なんです。平和主義を守るか守らないかってことよりも、具体的な状況のなかで平和を作る模索が大事だって思ってます。
平和を唱えるのが理想主義で、戦争が現実なんだっていう二分法は、必ずしも正確じゃないんですよ。現実に向かうと戦争をする、現実から離れるとハト派になるって、そんなバカなことじゃない。現実の分析って言うのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのかを考えることです。
現実の分析っていうのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのかを考えることです。そのとき、すぐ兵隊を送るのは短絡的です。伝統的な外交というのは、武器を手段としながら、外交交渉、悪くいえばボス交渉と談合によって自分に有利な条件を獲得するってそういう取り引きでしょ。だけど、原則として平和を掲げて国際政治を見てきた人たちってのは、今度は国際関係の力の現実とかいうものにぶつかると、なんというか教条主義的な平和主義者、あるいは教条主義的な戦争主義者になっちゃうみたいです。いまの日本で起こっているのはそういう状況でしょう。だけどそれは事実に即していないんです。
平和って、理想とかなんとかじゃないんです。平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取り引きや談合を繰り返すことで保たれるのが平和。この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうかもっていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです。そういうことをね、伝えていきたいんです。

2 comments:

  1. 藤原帰一
    「正しい戦争」は本当にあるのか
    (インタビュー 渋谷陽一・鈴木あかね)

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  2. 平和っていうのはそんな観念よりも具体的な、目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかって問題なんです。平和主義を守るか守らないかってことよりも、具体的な状況のなかで平和を作る模索が大事だって思ってます。

    どの政府も自分たちの欲望や利益を最大にしようとして行動している。そういった政府がそれぞれさらなる権力を求めて、お互いに脅しあってる状態が国際関係なんだって風に見るんですね。この場合、戦争にはいいも悪いもない。戦争は国家の政策のひとつ、それだけのことです。

    軍事力の行使の必要な場面が国際関係にあるかないかといえば、残念ながらあるというのがぼくの考えです。

    ……アフリカ中部のように戦争が続いていたり、中東みたいにいつ壊れるともしれないカッコつきの平和もある。こういう地域についてどうするかを考えないと、絶対反対という立場だけでは信用が得られないでしょう。たとえばいま、イスラエルやパレスチナに行って、軍隊をなくしなさいと言ってもまともに聞いてもらえないでしょ。


    軍隊が必要かどうかってのは一般論じゃないんですよ。この問題は、軍事的な兵隊の準備、戦争の準備が必要だとみんなが思っちゃうような危機とか具体的な問題がどれだけあるかによっていくらでも変わってくるんです。
    ……兵隊に頼らなくても現状を保てるよってことになる。……軍事力に対する依存を減らすことができるわけです。

    反戦かあるいは戦争か、軍隊を持っていいか悪いかっていうのは、原理の問題であるよりは、むしろ軍に頼らない状況をどう作っていくかっていうことなんです。

    ひとつは兵隊に頼らず、軍事力の行使に頼らないで、状況を打開する方法があるかどうか、できる限りていねいに考えること。正義とか何とか、大袈裟な言葉はかえって危ない……暴力を正当化するために誰もが<正義>って言ってきたわけですよ。
    ふたつめには、どのような状況のもとで暴力の行使が許されるのか、また、その暴力行為どんな制約の下に置かれるのか、ということです。本来は戦争の正当化ではなく……戦争の許される<状況>の制限と、戦争で用いる<方法>の制限という二重の制限でした。……いまアメリカなどで唱えられてい正戦論はこのふたつの制限がぜんぜんないんです。

    平和を唱えるのが理想主義で、戦争が現実なんだっていう二分法は、必ずしも正確じゃないんですよ。現実に向かうと戦争をする、現実から離れるとハト派になるって、そんなバカなことじゃない。現実の分析って言うのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのかを考えることです。

    ……伝統的な外交というのは、武器を手段としながら、外交交渉、悪く言えばボス交渉と談合によって自分に有利な条件を獲得するって言う、そういう取引でしょ……今度は平和の力の現実とかいうものにぶつかると……なんというか教条主義的な平和主義者、あるいは教条主義的な戦争主義者になっちゃうみたいです。今の日本で起こっているのはそういう状況でしょう。だけどどれは現実じゃないんです。

    一言いっておきたいんですけど、平和って、理想とかじゃないんです。平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ……汚い取引や談合を繰り返すことで保たれるのが平和。このほうがみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけれどもっていう打算に満ちた老人の知恵みたいなもんなんです。

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