Thursday, July 12, 2012

遙洋子

ずるい者が成功し、お人好しは生涯苦労する時代だ。その例はざっと周りを見渡しただけで枚挙にいとまがない。
わかるのは、まじめに生きたらそこから抜け出しにくい、ということと、ズルく生きれば成功は比較的容易に掴める、という私の“実感”だ。
思い起こせば、ベンチャー系といわれる領域は、どこかうさん臭さが漂うことがめずらしくはない。実直に働くより、一発当てたい人間がいるのは昔からで今に始まったことではない。
要は、当てて、それでどうするか、に私はズルさを感じているのだと思う。
“当てたら浪費”を誰もが疑わない感覚。“当てたら逃げろ”の発想。
もはや、譲り合いやら、共に生きる的発想は雲散霧消したと私は感じている。震災で日本人の素晴らしい連帯を見たのも事実だが、“当てて脱出”組や、“当てて浪費”タイプはその中にカウントされない。助け合い精神も確実に存在するが、当て逃げ層もしっかり確立されている社会だ。
では、次に、“逃げ切れるのか”だ。

2 comments:

  1. ずるい者が成功、お人好しは苦労する
    ただし、生き方としては勝った後の方が大事

    by 遙 洋子

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111220/225475/

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  2. 先日、税や社会保障などを討論する番組に出演することになり、仕事でなければ決して手をとることもなかっただろう社会保障関係の書物を読破した。

     読めば読むほど、「これは仕事でなければ絶対読まない」という思いがつのった。

     それくらい、混沌としているエリアだ。まず、日本の税や年金は難解な方程式を読み解くほど複雑な仕組みになっている。いったい何をどうすればこんなややこしい制度になったのか歴史を探ってみると、その複雑さは成立当初から長年の歳月をかけて混成したものだとわかる。大きいビジョンから逃げ(大変だから)、「とりあえずこうしとこう」を続けると、人生も建物も制度もオットロシくややこしくなる。

     また、このややこしさを解読するための経済学者や社会学者、政治学者たちの論評が様々だ。歴史をロマンで自由に読み解くように、この制度もまたその混沌が自由な解釈を生む。

     学者というのはそれらがもたらす商売だと私は理解した。

     「増税反対」の論拠が商売になり、その逆もまた。つまり、誰もこの国のゆくえの正解は“知らない”のだ。政治家とて同様。そこで個人の直観や嗅覚のようなものが「何を信じてどう生きるか」のよりどころとなる。混沌とした時代の命綱は個々の“カン”だ。
     時代をどう見るか。どう見えるか。

     私はこう見える。

     結論から言おう。「ずるい者が成功し、お人好しは生涯苦労する」時代だ。
     その例はざっと周りを見渡しただけで枚挙にいとまがない。

     私の知人のある海外の銀行員が言った。

     「まだ30歳の青年が、日本を脱出して海外に会社を作った。まかされた金額は20億円」ということだった。IT関係で年商20億。身なりはフツーの青年で、英語も喋れず、食事は主に“居酒屋”。20億以外はすべてフツーの兄ちゃんだ。日本の税を逃れ海外で起業できる職域が大きな産業として力を持つ。

     ITといえども皆が成功するわけじゃない。だが、その世界なりのネットワークがあり、IT成功者は彼ら同士でツルむ。そこで階層ができあがる。「海外起業」もそこでは常識だ。

     何をかくそう私の甥もまた、「他人からもらった」という大金で起業した。その理由を私が親なら絶対信じないが、実際の親はその報告を信じ、「それほど他人は自分の息子を評価している」と手放しで喜ぶ。若干20歳で他人に雇われたことのない青年が、一日おきにゴルフや船を借り切っての海釣りに出向くほどの利益を上げる。親はそれに浮かれ、成功を共に享受する。「儲けた」ことが最高位の評価基準で“どう”儲けたかは親は問わない。そういう時代の一辺をわが身内に見る。

     そうかと思えば、自給700円で毎日疲弊するほど職場でコキ使われている甥もいる。コキ使われたままもう30歳を超えた。まじめに働き続け、貯金ゼロのワーキングプアと、なにやらそこに“ズルさ”が臭う領域に最初から突入し成功した甥がいる。

     わかるのは、まじめに生きたらそこから抜け出しにくい、ということと、ズルく生きれば成功は比較的容易に掴める、という私の“実感”だ。

     怪しげな業界である芸能界で今だに食べさせてもらっている私が、まっとうな仕事などを語れる立場ではないのは承知の上で、だが、納得できない深刻な格差が日常に転がっている。

     しかし思い起こせば、ベンチャー系といわれる領域は、どこかうさん臭さが漂うことがめずらしくはない。実直に働くより、一発当てたい人間がいるのは昔からで今に始まったことではない。

     要は、当てて、それでどうするか、に私はズルさを感じているのだと思う。

     “当てたら浪費”を誰もが疑わない感覚。“当てたら逃げろ”の発想。

     もはや、譲り合いやら、共に生きる的発想は雲散霧消したと私は感じている。震災で日本人の素晴らしい連帯を見たのも事実だが、“当てて脱出”組や、“当てて浪費”タイプはその中にカウントされない。助け合い精神も確実に存在するが、当て逃げ層もしっかり確立されている社会だ。

     では、次に、“逃げ切れるのか”だ。

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