Monday, July 30, 2012

谷川道雄

その(内藤湖南の)唐宋変革論はどなたもよくご存じの学説なのですが、唐宋変革というのは、唐宋の間に大きな社会的、政治的、文化的変化が起ったという考えです。政治的には、それまでの貴族政治から君主独裁政治へ、経済的には、現物経済の優勢な時代から貨幣経済の発展期へ移っていく。そのような状況の変化の中で、民衆も貴族の支配下から解放されて自由になっていく。文化のいろいろなジャンルにおいても、これまでの形式重視の文化から自由な表現を重んじる文化へ移っていった。簡単に言うと、こういう説なのですが、。。。
彼の(内藤湖南の)時代区分論は、単なる王朝というものから、社会の中身、内部の質に入っていく、そして単なる現象に対する歴史家の主観的把握から歴史そのものの客観性へ向かっていく。つまり、個別の現象から社会の根底へ進んでいくという極めて画期的な立場に立ったものだと言うことができるかと思います。

5 comments:

  1. 内藤湖南の思想次元

    by 谷川道雄

    http://www.icis.kansai-u.ac.jp/data/journal03-v2/journal03-v2-05-tanigawa.pdf

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  2. 唐の滅亡から北宋の成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した5つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代(907年 – 960年)を五代十国時代と呼ぶ。

    唐王朝から五代十国時代を経て統一国家を実現した宋王朝は、五代やその前の唐王朝以前とも異なる中央集権体制と文治主義を確立し、経済や社会、文化にも大きな変化をもたらした。五代十国時代はこうした変革の中の過渡期と位置づけられている。

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  3. 唐宋時代といふことは普通に用ふる語なるが、歴史特に文化史的に考察すると、實は意味をなさぬ語である。それは唐代は中世の終末に屬し、而して宋代は近世の發端となりて、其間に唐末より五代に至る過渡期を含むを以て、唐と宋とは文化の性質上著しく異りたる點がある。但し從来の歴史家は多く朝代によりて時代を區劃したから、唐宋とか元明淸とか一の成語になつて居るが、學術的にはかかる區劃法を改むる必要がある。但し今は便宜上、普通の歴史區劃に從ひ唐宋時代の名を用ひて、支那の中世より近世に移る間の變化の状態を總括して説いて見ようと思ふ。(「概括的唐宋時代觀」『歴史と地理』九-五、『東洋文化史研究』所収、『内藤湖南全集』第八巻収録)

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  4. 支那の近世は何時から始まつたとすべきであるか。從來は多く朝代によつて時代を區劃する方法が行はれたが、これは便利なやうであるけれども、史學的には必ずしも正確とは謂へない。史學的に言ふときには、近世には、ただ年數から云つて今の時代に近いといふばかりではなくして、必ず近世を形成する内容がなくてはならぬ。その内容が何であるかは次に述べるが、さういふ内容をもつた近世は、これを宋以後とすべきである。而して宋になるまでには、中古より近世への過渡期がある。近世史を明かにするには、この過渡期から考へる必要がある。(『支那近世史』(『内藤湖南全集』第十巻所収)第一章近世史の意義)

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